「芸術のまち」を掲げて
多額予算を投入するのは良い市長か

 かみ砕いていうと、こうである。組織や集団が小さくなるほど、全体が極端な色(多くはトップの色)に染まりやすい。そのためメンバー1人ひとりは自分の色が出せなくなる。制約されるものが個性の発揮だけでないことを考えたら、つぎのように一般化することができよう。

「共同体は規模が小さくなるほど極端化しやすく、個人の自由や権利が脅かされやすくなる」

 地方分権を例にとって説明したい。かりに小さな市や町の首長が、特色あるまちをつくるため「芸術のまち」「スポーツのまち」を看板に掲げ、教育やイベント、施設づくりに多額の予算を投入したとしよう。すると芸術やスポーツが好きな市民、芸術やスポーツで身を立てようと考えている生徒にとってはありがたいが、それ以外の人にとっては恩恵が乏しい。

 むしろ特色に欠けても、各分野へ均等に予算を配分するほうが多くの人のニーズに応えられる。地方分権改革によって自治体の首長の権限が増大した結果、現実にこのような問題が各地で起きている。

 企業でも同じような問題が発生する。トップの権限を部課長や支店長にゆだねた場合、部下の立場からすると温厚で優しい上司ならよいが、暴君のような上司に当たったらたまらない。同じ暴君でも、大きな組織全体を支配するより、小さな組織を支配するほうがたやすいからである。

 同じことは学校や家庭にも当てはまり、ほかの条件が等しければ、大きな学校より小さな学校、大家族より核家族のほうが個人の自由・権利が脅かされやすいだろう。

発言も行動もしない生徒と
「事なかれ主義」の教師

 文部科学省の調査によると、小・中学校における不登校者(病気や経済的理由を除き年間30日以上欠席した者)は、2023年度に34万6482人と過去最高を記録した。前年度より15.9%増加し、児童・生徒全体の3.7%にあたる。そこからうかがえるのは、子どもたちと学校との社会的な距離が広がっていることだ。