その答えは児童や生徒、そして教師までもが捨て去ろうとしているもののなかに隠されている。授業中の挙手や発言にしても、それを促す教師の姿勢にしても、さらにはまじめに登校することさえ、受験には直接関係がない行為である。
要するに受験に直接関係がない行為ほど軽視されていることがわかる。彼らにとって将来の豊かで安定した生活や世間の評判、ならびにそれらの獲得につながる目先の受験こそが最大でしかも唯一ともいってよいくらいの関心事なのである。
多くの生徒が受験に役立たないものには熱意を示さなくなっているといっても過言ではない。
それを裏づけているのが2022年に行ったウェブ調査の結果だ。全国の高校生に対して「『高校時代は何かに挑戦したり、新しいことを始めたりするより学校の勉強や受験勉強に専念していたほうが得』という考え方についてどう思いますか?」と尋ねたところ、「そう思う」「どちらかといえば、そう思う」という回答が計49.4%とほぼ半数を占めた。
いわゆる進学校以外の生徒も多数回答していることを考えたら、この数字はかなり高いといえよう。
学校で進行する「空洞化」をもたらしている原因を突き詰めると、受験第一主義、さらにいうなら学歴至上主義に行き着くとしたら、見逃せないのが学習塾や予備校による役割の代替である。生徒が高い学歴の獲得につながる進学、受験という目的を強く意識するほど、その目的達成に特化した塾や予備校に重きを置くようになるのは当然かもしれない。
実際に私立の中学・高校受験者が多い公立の小中学校では、休息のために学校に来ているような児童・生徒が少なくないし、それに理解を示す教師も多いといわれる。
個人の権利が脅かされるリスクの
もっとも大きい共同体とは
ところで「共同体は規模が小さくなるほど極端化しやすく、個人の自由や権利が脅かされやすくなる」という命題に当てはめるなら、いちばんリスクが大きい共同体は家庭だということになる。