そこで学校側は必死になって暴力の撲滅に取り組んだ。その甲斐あってだんだんと生徒の暴力は影をひそめていった。ところが、その反動か、生徒たちはおとなしくなりすぎ、すっかり自発性が失われたという。

「暴れる生徒たち」と「もの言わぬ生徒たち」。不登校の増加も後者に含まれるだろう。一見すると両者は正反対のようだ。しかし表面的には対照的に見えるものの、学校やクラスといった共同体に対し積極的に関与しない点において、両者は類似していることを見逃してはいけない。

 単にその表現形態が違うだけだともいえる。それは、いわゆる「ひきこもり」と「家庭内暴力」がしばしば同時に出現するところを見ても納得できるだろう。

 このように、とりわけ日本で学校での問題がエスカレートしやすいのには理由がある。

 日本では転校が比較的少なく、公立小中学校では原則としてその地域に生まれ育った子が同じ学校に通う。またよほどの事情がないかぎり全員が一緒に進級し、卒業していく。そのため、きわめて閉鎖的かつ同質的な集団になり、同調圧力が強く働きやすい。「もの言わぬ」空気に支配されやすいのだ。

 そしてもう1つの理由は、学校→クラス→仲間と同心円状に共同体が入れ子状態になっているところにある。

 前述したジンメルの命題がいうように、共同体は小さくなるほど個性的、言い替えれば極端な性格を持つようになる。そのため内側にいくほど一般社会から隔絶され、独特の規範や慣行を押しつけられたり、密室でいじめられたりするリスクが高くなる。

 しかも同心円状の共同体のなかにいるので、いじめられたり人間関係が悪くなったりしたとき、その集団から逃げ出して別の集団に軸足を移すことができない。

学校の「空洞化」を
もたらしているものの正体

 そもそもこのような病的現象が起きる問題の根底には、共同体のメンバーが組織運営や活動に対して積極的に関わろうという意識を欠いた、「空洞化」がある。では、空洞化をもたらしているものの正体はいったい何だろうか?