
三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第57回は、「三角関数なんて意味がない」「微分積分は役に立たない」といった俗説に物申す。
数学の東大代表が語る「数」の重要性
東京大学現役合格を目指す天野晃一郎と早瀬菜緒は、東大合格請負人・桜木建二に小学校2年生の算数から勉強をやり直すように言われる。戸惑う2人に、桜木は「数学を学ぶ意味」について説明するのだった。
桜木は、原始時代から現代に至るまで数を使える者が人類の生存を支えてきた、だから生き延びるために数学を学ぶのだ、と説明する。
確かに、ものを数えられる、あるいは「数」という概念を理解することは生存にとって極めて有利に働く。
人類学者のケレイブ・エヴェレットは著書『数の発明』(みすず書房)のなかで、「数は人間の知能の産物で、わたしたちが量というものをどのように見てどのように見比べるかを決定的に変えてしまった認知の発明品」と述べている。数は生まれつき備わっているわけではないのだ。事実、世界には数という概念を持たない民族も存在するという。
桜木の発言に関して、数学が大得意な高校の同期に聞いてみた。ちなみに彼は今、東大の代表としてウズベキスタンで開かれている数学の国際大会に出席している。
彼は「桜木の発言は正しいと思う一方で、それは数学ではなく“算数”に限った話ではないか」と指摘する。なるほど数の大小や和差積商、単純な比例関係を理解するには小学校算数の範囲で十分だ。その上で、彼は数学を学ぶと「論理によってもう1つの自分を手に入れること」ができるという。
お釣りの計算より重要な「力」とは?

普段私たちは直感に従って生活している。だが時々、直感では対処しきれない「パズル」と呼ばれるものが出てくる。そのような時に、数学というツールを通じて、論理的に問題を解決するもう1人の自分を登場させることができる、というのだ。
特に「考えられる全ての可能性を考慮したのか?」という問いに対して、数学は論理的な分類の仕方を提供してくれる。偶数と奇数に場合分けしたり、三角形の一辺の長さが3より大きいか否か判断したり……といった具合だ。
私が通っていた塾の数学の先生が語っていた言葉が印象に残っている。「文系である君たちには、なぜ数学が必要なのかと考えるひともいるかもしれない。ただ、法律や経済は事象を『分ける』ことから始まる。与えられた条件と、目指すべきゴールの間を、いかに効率よく分割するべきか。数学はそのトレーニングだ」。
三角関数や微分・積分はその分類の手段にすぎず、目的ではない。絡まり合ったひもを解くように、一見複雑そうに見える事象を、単純な構造に分割していっているだけなのだ。
確かに、日常生活で三角関数や微分・積分を直接的に使わなければいけない機会はまずない。だが、日常生活における「選択」する力は、たとえ無意識でも数学的な思考の産物と言える。そしてその力は、時にお釣りの計算よりも重要になってくる。
今となっては過去の部類に入るのだろうが、単純計算は数十年前からコンピューターの右に出るものはいない。おそらく今後もそうだろう。ただ、何の計算をするのか、なぜ計算をするのか、その指示を出すのは人間なのだ。

