これは日本の暦に古くからある吉日の一つで、一粒の籾もみが万倍にも実って立派な稲穂になるという意味から、わずかなことが万倍にもなって返ってくる、つまり大きな成果につながるというラッキーデー。開業、結婚、引っ越し、宝くじの購入など、何かを始めるのに最適な日とされています。
他に「天赦日(てんしゃにち)も日本の暦で最上といわれる、年に数回の大開運日。神さまが天に昇り、天がすべてを許す日とされています。
一年のうちにはこうしたラッキーデーが重なる日が何度かあり、「一粒万倍日+天赦日」や「一粒万倍日+大安」などは幸運度がさらに高まる日とされます。
それがいつなのか、気になった方は調べてみてください。一例をあげると、2024年1月1日は暦では二重の吉が重なる日、「一粒万倍日+天赦日」で超のつくラッキーデーでした。そのため結婚にかかわるお祝い事も多かったのですが、周知の通り、その日に能登半島で最大震度7の大地震が発生しました。
「なぜあんないい日に大地震が……。暦の上ではとてもいい日だったのに」
「だから暦などあてにならない。一粒万倍日? 迷信じゃない?」
「いい日だったからこそ、それ以上の難を免れたのだ」など、反応はさまざまでした。
日の吉凶は一つの物差しくらいに考えよう
暦の表面上は吉でも、現実にはいろいろな出来事があります。よきこと、よき状態、正しいことの定義はそれぞれ大きく異なることもたしかです。あくまで迷信としてとらえる人、昔からある文化として大事に扱う人もいます。
私たち人間は、誰もが天体の影響を大きく受けています。太陽の出方ひとつで気温が大きく変わるなど、自分ではどうにもできないことも多々あります。
「厄年になりたくない」と嫌がっていても、生きている以上はその年が巡ってくることは避けられません。星回りの影響に抗うことはできません。そこを理解したうえで暦を見ることも大切でしょう。
仏教的に見れば日の吉凶を気にしすぎるのはとらわれや執着の表れであり、「凶の日は移動できない」などと気にしていると出張も旅行もできなくなってしまいます。
やはりほどほどがいいのです。知ることで安心感が得られたり、暮らしやすくなったりする目安のようなものという程度に考えるのがいいでしょう。私たち僧侶の役割はラッキー・アンラッキー、吉凶などを、とらわれすぎないようなさじ加減にすることです。
吉凶カレンダーは一つの物差しとして、「どうしようもないこと」の影響を知ったり、判断の基準にしたりするくらいにしましょう。