書籍『世界はなぜ地獄になるのか』をはじめとしてキャンセルカルチャーなどについて論じてきた作家・橘玲氏と「表現の自由」問題へアクティブに取り組んできた自民党の山田太郎参議院議員の初対談の後編。「言ってはいけない」ことを書き続ける橘氏はなぜ炎上しないのか? ネット上での匿名性についてなど議論はさらに白熱していく。

■山田太郎(やまだ たろう)参議院議員。慶応義塾大学卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)、PTC等外資系企業に勤めた後、製造業コンサルティング会社ネクステックの創業社長、3年半で東証マザーズに上場。東京工業大学特任教授、早稲田大学商学部客員准教授、東京大学工学部非常勤講師を歴任。2012年比例復活で参議院議員に就任。2019年参議院選挙(全国比例)ではネットを中心に54万票の大量得票で当選。自由民主党所属。表現の自由、デジタル政策、知財政策、こども政策などに取組む。とりわけマンガ・アニメ・ゲームを中心とした表現の自由を守るために尽力。デジタル大臣政務官、文部科学大臣政務官を歴任。こども家庭庁の提唱者として同庁の設立にも尽力。
言ってはいけないようなイヤなことが書かれている橘玲氏の本は炎上しないのか?
山田太郎(以下、山田) 僕ね、ちょっとお聞きしたいんですけれど、橘さんの本ってカンファタブル(快適、心地よい)じゃないと思うんですよ。すごくイヤな本じゃないですか。『言ってはいけない』ことを書いたりしているわけだし。だから結構、批判されることが多くて、大変なんじゃないかと思うんです。炎上したりしませんか? あるいはそのあたりを気にしながら、実は書いているとか…。
橘玲(以下、橘) じつは炎上の経験はほとんどないんです。キャンセルカルチャーの大きな問題は、「叩きやすいところを叩く」ことです。そのほうが簡単に“成果”が出ますから。だから叩かれるのは、ポリコレの基本的な知識がなかったり、うっかり間違えた人なんです。それに対して、「これが自分の言論(表現)だ」と言われると、とりわけリベラルは「言論・表現の自由は守らなければならない」という建前に拘束されていますから。
たとえば日本だと刑法にわいせつ物陳列罪があって、性器を公然と陳列してはならないことになっていますが、現代美術家のろくでなし子さんのように、逮捕覚悟で、芸術表現として自分の性器を作品にする人もいる。そうなるとポルノに反対していたリベラルも、「国家権力が表現の自由を抑圧するのはけしからん」となるのが不思議なところです。
私の本で唯一炎上したのは『専業主婦は2億円損をする』(マガジンハウス)です。それがYahoo!ニュースで紹介された時、コメント欄に30分で2000件くらいの批判がきて、専業主婦からすごく怒られました。そのコメントを全部は見てませんが、お怒りの理由は大きく分けて2つあって、1つは「女がそんなに稼げるはずがない」、もう1つは「好きで専業主婦やってるわけじゃない」です。でも厚生労働省の関連団体の資料を見ると、大卒女性の生涯賃金は平均で2億1500万円となっている。そういう基本的な事実(ファクト)も確認せずに、「傷つけられた」と感情的に批判コメントを書き込むのがSNSだとよくわかりました。
炎上したのはそれくらいで『言ってはいけない』などはほとんど批判は来ません。不思議なのは、出版業界では「二匹目のドジョウ」で売れたものは必ずどこかがマネするんですが、私はマネしてくれる人がほとんどいないんです。だから結果的に、ライバルがいないブルーオーシャン戦略になっている(笑)。
山田 橘さんの本の内容というのはイヤな話を書いてるわけですよね。それが売れている。それはどういうことなんでしょう?
橘 きれいごとが真実だとはかぎらない」ということをわかっている人が一定数いるからじゃないでしょうか。たしかにみんな「カンファタブル」を求めているわけですが、その一方で、不愉快でも本当のことを知りたい読者もいる。虚構(ウソ)の上にきれいごとの理屈を組み立てるよりも、たとえ不愉快でもファクトに基づいて社会や人生についてロジカルに考えるほうが、圧倒的に有利ですから。そのことを知っている人が、私の読者なんだと思います。
山田 橘さんはカンファタブルを見事に壊していく立場ですよね。あなたの考え方とは全然違う側面があるんだよ、違う世界があるんだよみたいな。奇妙な世界みたいな。
橘 すでにほかの人が書いているのなら、それを読めばいいわけで、私が書く理由はないですよね。なんのために物書きやってるかと言ったら、「ほら、こんな面白いことがあるよ」と、ほかの人が言わないことをみんなに伝えられるからです。それがいわば、私の「自己実現」です。
出版界がキャンセルカルチャーを認識した『新潮45』休刊事件
山田 そんな橘さんでも、最近は前より自由に書きにくくなったとか、そういう空気は感じますか?
橘 今はどの出版社もすごく厳しくなってきて、差別表現やポリコレの基準に抵触するものは校閲の段階ですべてチェックされます。もちろん編集者と相談してそのままにすることもあるわけですが、正直、かなり窮屈です。すべての表現について、「なぜこの言葉を使うのか」の説明責任を求められるわけですから。
やはり決定的だったのは、2018年に『新潮45』が休刊になった事件でしょう。その前は、出版業界の人たちと話しても、キャンセルカルチャーはアメリカの話で、他人事のように思っていた。ところが、掲載した記事が同性愛者と痴漢を同列に論じていると大問題になって、大手出版社の月刊誌が発売日からわずか4日で休刊に追い込まれた。社内から「ヘイト出版社」の烙印を押されたらどうするのかという声があがったのが理由のようですが、新潮社は打たれ強いと思われていたから、出版業界に与えた衝撃はものすごく大きかった。その時に初めて、「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」の基準を踏み外すとどんなことになるのか、気づいたんです。
昨年も、トランスジェンダーについてのノンフィクションの翻訳を出す予定だったKADOKAWAがキャンセルされて※1、出版を中止する事件がありました。それ以外にも、山本周五郎賞などの候補にもなった小説家・樋口毅宏さんの小説『中野正彦の昭和九十二年』が、いったん書店に並んだ直後に回収され、出版が中止されるという事件が起きています。これはネトウヨが主人公で、SNSの差別的なコメントが大量に使われているのが理由のようです。
山田 橘さんは気をつけて書いてるんですか? 橘さんクラスでも書けないものとか、没原稿とか…。
橘 好きなことを自由に書ける人なんて、いないんじゃないですか。さすがに没はないですが、「この表現はちょっと」といわれることはあります。出版社ごとのちがいもあるので、「この企画はできますか?」とあらかじめ聞いて、その範囲で書くようにしています。出せる出せないでもめるのは、お互いに消耗ですから。
私は元々は編集者で、屠場労組の糾弾会に呼ばれたり、解放出版社の人から抗議が来て、そのあと仲良くなって、糾弾はどういう論理でやっているのかを教えてもらったりしたので、その経験がある種のアドバンテージになっているのかなとは思います。「どんな理由でこの表現にしたのかをちゃんと説明できるなら、それがたとえ差別語でも問題にはしない」と教えてもらったのは、とても勉強になりました。
あと、自分が「黄色人種」であることのアドバンテージもあると思うんです。国際社会で一番やっかいなのはレイシズムですが、これは基本的に「白人対黒人」の人種問題ですよね。すくなくともWoke(ウォーク:社会問題に意識高い系)の論理では、「レイシズムは白人がPOC(People of Color)に対して行なうものだから、有色人種は原理的にレイシストにはならない」とされている。だから私のような有色人種が人種(ヒト集団)のちがいについて書いても、ある程度許されるところがある。それに対して、白人の知識人はほんとうにきついですよね。
もうひとつは当事者性で、たとえばLGBTの活動家によるキャンセルの行き過ぎを批判するのは、LGBTなら許されても、異性愛者やシスジェンダーは当事者ではないので批判される。ユダヤ人問題ではこれが顕著で、イスラエル軍のガザへの攻撃を批判すると「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られてしまうので、いまや抗議の先頭に立つのは「反イスラエル」のユダヤ人です。
当事者性がない場合でも、エビデンス(客観的証拠)があれば、ある程度の主張ができます。「批判するのであれば、私の主張が間違っているというエビデンスを出してください」と言えますから。この手法は一時、左派から「エビデンス至上主義」と叩かれましたが、コロナ禍で反ワクチン派が医学的なエビデンスを無視した陰謀論を言い立てたことで、幸いなことにそういう批判はほぼなくなったようです。
山田 結局、自由に書くことはだんだん難しくなってきているんですね。
橘 そうですね。私だけではなく、すべての物書きがそう感じていると思います。たとえば、「東南アジアに行って買春してきました」という旅行記は昔はサブカル雑誌にたくさん載っていましたが、今はもう無理でしょう。このままだと、表現の自由があるのは、リベラルから「ヘイト雑誌」と嫌われている保守系雑誌だけになるんじゃないかと、不安になります。
「匿名表現の自由」はありか? なしか?
山田 それで、これも橘さんにお聞きしたいんですけれど、「匿名表現の自由」がありかどうかっていう話。これは今、政治の世界ですごく議論になってるんです。ネットとかで、誹謗中傷などが起こるのは匿名表現を認めてるからだと。実名でやるならやれと。少なくとも政治家とか、言論人はみんなそうですけど、実名でやってるでしょうと。そんな中で、匿名表現の自由というのは認めなくていいんじゃないかというような議論がしょっちょう起きている。
橘 でもそれは2007年に韓国でやって、グーグルなどのプラットフォームが使えなくなったり、個人情報が流出したりして大失敗しましたよね。
山田 そうです。韓国はインターネット実名制をやって失敗しました。ただ、匿名表現の自由を守ろうと党内で戦ってるのは実は僕ぐらいなんですよ。
橘 政治家の立場だと、いつもSNSで匿名で批判されてるから、こんなものは規制してしまえという話になるんでしょうね。その気持ちはわかります(笑)。
山田 発言は責任を持ってやれっていう立場で言ってるんですね。だけど、僕が言ってるのは、選挙の投票って記名式でやりますかと。そんなことだと、怖くて選挙行かなくなっちゃいますよね。いい意見でも悪い意見でも、それが発露された時、それに耐えられない人もいる。けれど、どんな意見でも発露できるのが、やっぱり豊かな表現空間だと僕は信じてるんです。でも、あらゆる表現の発露には責任が伴うという考えが強い人にとってみると、匿名表現なんてけしからんということになっちゃう。
橘 でも実名にしたら、内部告発などで社会の不正を訴えたい時になにもできなくなってしまいますよね。それにオンラインコミュニティには、障害があるなどの理由で、個人を特定されないかたちで参加している人がたくさんいるでしょう。それをすべて実名にしたら、かえって差別が悪化するとしか思えません。
「インターネットは匿名だ」といわれますが、日本でも実態としては、ニックネームがゆるやかに個人情報と結びついているんだと思います。完全な匿名にしているのは少数で、ほとんどはプロバイダーに照会すれば個人が特定できるわけですから。だから大半のひとは、ニックネームをネット上のアイデンティティとして、常識の範囲内で発言している。そうでないと、他者の評判が獲得できませんし。そうなると問題は、過激な発言をするごく一部の人たちで、それが気に入らないからといって、ニックネームを使ったコミュニティを丸ごと破壊してしまうというのは、いくらなんでもやりすぎだと思います。
ただ、ちょっとつけ加えておくと、「議論は実名でやれ」というのも筋が通っているところがあると思います。古代ギリシアではみんながアゴラという公共広場に集まって討論していて、欧米の政治哲学では理想的な民主政という話になっている。でもこれは古代アテネのような小さな共同体だからできたことであって、グローバルなインターネットでやろうとしたら、とんでもないことになりますよね。すくなくとも、匿名や偽名でネットにアクセスする技術をもつハッカーが好き放題やって、大混乱に陥るのは間違いないと思います。
ネットで極端な主張する人は5%ぐらいしかいない
山田 僕はネット空間の中で一つ信じていることがあって、それはサイレントマジョリティ(静かなる多数派)の人たちっていうのは極めてジェントルであり、賢明だということ。ノイジーマイノリティ(声高な少数派)って言っちゃうと怒られるかもしれないけれど、そういう声が大きくて批判する人はごく一部。どんな意見もごく一部。だけど、やっぱりそこは声が大きいし、その一方、サイレントマジョリティの人たちはなかなか声を上げないから、支持よりも批判の方が多く見えちゃうのは当然の構図なんですよね。だから、それを受けてる側からすると、圧倒的に批判の声の方が届きやすく、数が物理的に多く見えちゃう。
橘 そうですね。日本でも海外でもネットで極端な主張する人はごくわずかなのに、SNSの仕様によって、そういう声が不相応に拡大されてしまう。Yahoo!ニュースのコメント欄も、テレビのワイドショーをリアルタイムで見て投稿するのは、平均的な日本人の母集団じゃないですよね。ふつうは学校に行っているか、会社で働いているかで、午後3時にワイドショーを見れませんから。それが「国民の意見」のようになってしまうのも、どうなのかと思います。
山田 ただ、僕はネットの中でも、「いいね」ボタンは機能としていいなと思ってるんです。なかなか「いいね」とは書かないけれども、「いいね」ボタンなら気軽にクリックできて、その数はそれなりに集まることもある。そうすると、ああ、支持もされてるんだというのがわかって、救いとして機能するんですよ。
橘 それが「評判社会」ですね。本でも、Amazonのカスタマーレビューの評価が売れ行きに直結しますし。でもそうなると、ネット上でどれだけ評判があるかが人間の価値につながってしまう。若い人と話をすると、誰かに会う前に必ず「この人のフォロワーは何人?」と検索するそうです。
山田 フォロワーの数がパワーだったり、評価だったり…。
橘 そうです。だから、「ネット上に存在しないのは現実社会で存在しないのと同じ」になってしまう。そうなると、炎上のリスクを警戒しながら、ネット上で評判を獲得していかなくてはならない。その途中で地雷を踏んでしまうこともあるでしょうから、これはある種の「無理ゲー」で、クリアするのは相当難しいんじゃないですか。
インフルエンサーよりアンバサダーが大事
山田 ただ、僕はインフルエンサーっていうものに対しては、必ずしもパワーを持ってるかというと、ちょっと違う見方を持っているんです。
自分自身も実は選挙でネットだけで戦ったと言われて、54万票とって当選したんですが、その時のフォロワーって5万
その時に僕が思ったのは、インフルエンサーより、アンバサダーがすごく大事だということ。自分の選挙でもすごく拡散してくれる人って、必ずしもインフルエンサーじゃないんですよ。フォロワー数が100もないような、インターネット上では存在していないに近いような人が熱量を持って応援して書いてくれることがあるんです。その投稿が何万インプレッション、何十万インプレッションっていうことに結構なったりする。つまり、つながっている先のつながっている先へドンドン指数関数的に広がっていくことがあるんです。だから、ネットのSNSみたいなツールはインフルエンサーが支配していて、けしからんツールと思う人もいるかもしれないけれど、その後ろ側には、フォロワー数が少なくても熱量を持って活動してくれる人たちが実はすごくいるということを信じているんですね。