この日、ゴム製のボールとプラスチックのバットで皆と三角ベースをやったのが、私の息子と野球との出会いだった。弟さんの誘いがきっかけで少年野球チームに加入した息子は、その日から野球漬けの青春を過ごすことになった。
弟さんのお子さんはピッチャーで低学年チームのエース。私の息子はサードと抑え投手。互いに技術を高め、友情を育んだ。2人は市の選抜メンバーに選ばれ、県内各地を転戦した。
彼は頭角を現し、プロ野球のジュニアチームのメンバーに選ばれ、さらに腕を磨いた。少年野球チームを去る時、私の息子と「一緒に甲子園に行こう」と固い約束をしたそうだ。
そして、2人の夢は高校の野球部で実現することになった。学力のレベルがかなり高い高校だったが、彼はジュニアチームの実績があり、推薦入学。私の息子は一般受験を経て合格。親の自分が言うのもおかしいものだが、数カ月の猛勉強で合格するとは、どれほどの集中力かと驚いた。心の底から、2人で野球をしたかったのだろう。
プロ野球の主力投手と
チェコの「OHTANI」
愛知県は、毎年のように甲子園出場校が変わる激戦区だ。しかも、入学したその高校は屈指の強豪校。推薦組でチームメンバーは確保できているため、息子のように実績のない者は、入部した途端に「間引き」の目的で上級生からの理不尽ないじめに遭い、しごきに耐え切れず、野球の道を諦めてしまった。10年間、泥だらけのユニホームを洗濯し続けた私の妻も、その時は虚無感でいっぱいだったはずだ。
彼はその後、高校と大学でエースとして活躍。プロ野球ドラフト会議で指名され、主力投手として今も活躍している。
昨夏、彼を応援しようと球場に駆けつけた。リリーフとしてマウンドに向かう彼の登場曲がスタジアムに流れた時、ハッとした。
すぐに思い出すことができた。私の息子と弟さんの息子を乗せ、私の車で少年野球の試合に向かう車中で、大音量のカーオーディオに合わせて2人が歌っていた曲だ。私の息子との思い出を大事にしていたからこその選曲なのかは、本人に聞いてみないとわからない。
あの大型連休のキャッチボールが、2人の人生を左右する大きなきっかけになったのかも知れない。
しかし、野球を諦めてしまった息子はすっかり無気力な学生生活を送り、コロナ禍を理由に就活もせず、アルバイト漬けの毎日を過ごしていた。一方の久郷君は、野球を続けてきた少年たちが憧れるプロ野球選手として活躍している。
その後、息子はアルバイトで貯めた資金でチェコの大学に留学し、欧州史を学んでいる。なぜチェコだったのか、その理由は聞いていない。日本から逃げたかったのかもしれないし、親友の活躍を見たくなかったのか、それはわからない。
ただ、私自身、四半世紀の銀行員生活で、同期入行の仲間が次々に支店長になっていく姿を見て、自分の不甲斐なさを恥じてきた思いと、どことなく重なる。

目黒冬弥 著
そんな息子も今では留学先の大学野球チームで助っ人外国人として活躍しているそうだ。WBCの影響か、日本人であれば野球が上手いと思われたらしく、「OHTANI」と呼ばれているそうだ。何のしがらみもない異国の地で、心から野球を楽しめているのなら、それもいいだろう。
まとまった休みがなかなか取れない仕事であり、しっかり息子や家族と向き合えなかったことを、今となっては悔やんでいる。ただ時間は戻せない。私が銀行で働けるのもそんなに長くはない。残された時間を大切にしていこうと、最近は考えるようになった。
私がこの銀行に勤務して、およそ四半世紀が過ぎた。悲喜こもごも、あまりにも多くの出来事があった。今日も私は、この銀行に感謝しながら働いている。
(現役行員 目黒冬弥)