【世界史ミステリー】最強モンゴル軍を倒したのに…明を襲った「第2の敵」の正体とは?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。

最強モンゴル軍はなぜ負けた?
繁栄を極めた大モンゴル国でしたが、大帝国は次第にチンギス・カンの一族が各地に建設したウルス(国家)の緩やかな連合体となり、その一つである元(大元ウルス)では皇室の散財や疫病の流行などから民衆の不満が高まります。
この疫病は、モンゴルのユーラシア円環交易網を伝ってヨーロッパでも流行し、「黒死病」と呼ばれることになります。そうしたなか、元では1351年に紅巾の乱が生じ、これを機に台頭した朱元璋が「明」という王朝を建国します。明はついにモンゴル(元)を中国から追い出し、中国の再統一に成功します。
明を襲った「第2の敵」とは?
朱元璋は明の初代皇帝として洪武帝(太祖:在位1368~1398)と呼ばれます。建国間もない明では、ある問題がありました。元では銀が基軸通貨とされましたが、当時の中国では銀の産出量が不足し、市場への供給が十分とは言えない状況にありました。
元の時代はモンゴル帝国のネットワークを介してユーラシア各地から銀を循環させて何とか間に合わせていたのです。明でも引き続き銀が基軸通貨とされましたが、モンゴルから独立したことでそのネットワークから外れ、銀の供給が不足することになります。
(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』を一部抜粋・編集したものです)