性を身につけるということは、単なる性知識を知るということに限らず、異性(近年はジェンダーフリーとなり、同性も含まれるかもしれないが、理解をしやすいようにここでは異性とする)との距離感を身につけていくことが必要である。

 具体的に言えば、異性と親密になっていく中で、その異性との距離感がしだいに近くなり、腕を組んだりキスをしたり、性交までに至るかもしれない。要するに、異性との親密さを距離感で測っていくと言える。それができるようになることが、言わば性を身につけるということでもある。

 しかし、発達障害の人の中には、親密さという抽象的なことが理解しにくく、相手の気持ちに立ちにくい場合がある。結果的には性的な問題を起こしてしまいやすくなる。

 父親Gさんもこのように考えると、性が身についていないと言える。思春期を迎えた娘を異性として認識しておらず、仮に異性という認識があったにしろ、娘である異性との距離感がどうも適切ではない。それゆえ、いまだに一緒に風呂に入ることに違和感はなく、自分が不適切であることも自覚できないのである。

 性を身につけるということは、ある意味では大人になるための重要な社会性を身につけることである。しかし、それがうまくいかないとなると、さまざまなところで支障が生じ、時には性的虐待へと発展する危険もある。

 しかも当の本人はそのことの認識に欠けているために、不都合なこと、適切ではない行動とは思い至らない。それがなおのこと大きな問題へと発展していくのである。