児童福祉司は父親のGさんを呼び出し、事実の確認をしたところ、否定もせずにそれを認めた。そればかりか、Gさんはあっけらかんとした態度で、「これまで娘とは一緒に風呂に入っていたのに、なぜいけないのでしょうか」とも主張を始めるのであった。

 通常なら虐待の事実を尋ねても否認する親が多く、しかも性的虐待の場合はなおさらそれを認めるケースは少ない。Gさんのようにあっさり事実を認めることはまれである。

 その上、いい年齢になっている娘といまだに一緒に風呂に入ることを外から指摘されても、このGさんは恥ずかしいとか、おかしなことをしているといった認識はまるでなく、それが児童福祉司には不思議に感じられたのである。

“性に関すること”が逸脱しやすい親が
抱えていた事情

 Gさんについて情報を収集すると、おそらく自閉スペクトラム症だろうという特性が見られ、そのことが今回のこととも大いに関係していた。

 つまり、思春期を迎える頃になると、仮にそれまでは一緒に娘と父親が入浴をともにしていたとしても、そろそろ風呂は別々に入るようにしようとするのが一般的である。ある意味では、それが親としての当然なマナーであろう。

 しかし、Gさんは「娘と一緒に入ってはいけない法律なんてどこにもないし、これまでだって一緒に入っていたのに何が悪い」と主張を繰り返すのである。

 自閉スペクトラム症の人が思春期を迎えて大いに困惑し、時には誤解を招いてしまいやすい事柄の1つに、性に関することがある。

 筆者が家庭裁判所で調査官をしていたときも、発達障害の少年の性非行の事案は多くあったし、調査官を辞めて大学の教員となってから、成人の刑事事件の犯罪心理鑑定を引き受けた性犯罪の事案にも発達障害を有する被告人は少なくなかった。

 また、教育現場や福祉現場のさまざまな性的なトラブルや逸脱行動の事案にも加害行為をする側に発達障害の特性が見られることは、筆者の経験から一定程度存在していると言える。

子育てをする親自身も
“性を身につける”必要がある

 発達障害、特にその中でも自閉スペクトラム症がある場合は、性がなかなか身につかないことがある。