赤ちゃんを抱く女性写真はイメージです Photo:PIXTA

今、子育てに悩む親が増えている。物や環境に恵まれている現代の日本において、なぜこのような問題が起きているのか。著者・柳田邦男は、「何か大切なものを忘れていないか」と警鐘を鳴らす。お金や物がたくさんあれば幸福になれる訳ではない。貧しくとも幸せであった子ども時代の話とともに、“真の幸せ”について考えていこう。※本稿は、柳田邦男『「死後生」を生きる 人生は死では終わらない』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。

人生の落差は
内面を見つめるチャンス

 人はどんなときに自分の境遇を不幸だと感じるのでしょうか。一言で言ってしまえば、それは落差の中から生まれてくるのではないでしょうか。

 それまで順調な道を歩んできた。会社の中でもそれなりに出世をし、ローンを組んで自分の家も手に入れた。家庭には平穏な日々があった。子どもに手がかからなくなり、妻は趣味の手芸教室で楽しんでいる。

 しかし、ある日突然リストラに遭う。職を失い、その上にやっと買った家まで手放さなければならない。広い家から狭いアパートに移り住む。美味しいものも食べられなくなる。着飾ることもできなくなる。その落差に人は絶望感を抱く。

 すべての物を失っても耐えられる心。また出直せばいいと思える強さ。何事にも動じない自分。そうした内面のしなやかさを持つことが、幸せな人生を歩む上での糧になると私は思っています。

 物を失い、無一文になる。それは表面的には不運なことかもしれない。しかしそんなことに絶望しないで、これは自分にとっていい問いかけになったと考えてみる。物や地位を失ったなかで、人間にとって何が1番大切なものなのかを考えてみる。それはお金でも家でもないはずです。

 人間にとってかけがえのないものとは何か。その答えを探すにはとてもいい機会です。落差を経験することによって、人は内面を見つめることができるのです。現実に今、落差に苦しんでいる人から見れば、何と不謹慎で無責任な発言だと思われるでしょう。それでもあえて私は、落差は心の糧になると言いたいと思います。

 病気もまたしかりです。元気いっぱいで働いていたのに、急に重い病気を患ってしまう。もう出世や地位は期待できない。その落差が人の心を壊しかねない。

 その境遇をしっかりと受け入れることです。病気をしたことで、それまでの人生を見直すこともできるでしょう。そこには人の優しさや、本当に大切なものが見えてくるはずです。物を手に入れることで味わう満足感よりも、もっと深い味わいに気がつくこともあるでしょう。

 人生は決して平穏な日々が続くことはない。大小様々な落差が待ち受けているものです。その落差に絶望を感じるのではなく、内面を見つめるチャンスだと捉える。そうするときっと、昨日とは違う自分に気づくでしょう。