スマホ・テレビ・ゴシップ……日常生活の99%はムダだらけ。しかし、ムダを捨てるためにいくら効率を良くし、生産性を上げても、他人の期待に応えているだけで、自分のためになっているわけではない。「依存のプロ」GoogleとYouTube出身の著者が生み出した、自分の時間を取り戻す「完璧な習慣」とは? 27言語で刊行され、世界で累計30万部を突破している『とっぱらう――自分の人生を取り戻す「完璧な習慣」』より、特別に一部を紹介する。

仕事ができない人に限ってつい使ってしまう「スマホアプリ」とは?Photo: Adobe Stock

気がつくと、触っている

 あれは2012年のことだ。

 リビングルームで息子が木製の電車セットで遊んでいた。ルーク(当時8歳)はせっせと線路をつなげ、フリン(赤ん坊)は機関車によだれを垂らしていた。

 そのときルークがふと顔を上げて、こう言ったのだ。

「パパ、どうしてスマホを見てるの?」

仕事ができない人に限ってつい使ってしまう「スマホアプリ」とは?イラスト:docco

 ルークは僕をとがめるつもりはなく、ただ不思議に思ったのだろう。でも僕はうまく答えられなかった。もちろん、その瞬間にメールをチェックする理由が何かあったはずだが、大した理由じゃない。

 その日は子どもたちとすごす時間を朝から楽しみにしていて、やっとその時間が来たというのに、僕はうわのそらだった。

 そのとき、頭のなかで何かがカチリとはまった。僕はこの一瞬だけ気が散っていたんじゃない。問題はそれよりずっと根深いのだ。

 来る日も来る日も、僕はただ目の前のものに反応していた。――予定表に、受信したメールに、際限なく更新されるネット上のコンテンツに。

 家族との時間がどんどんこぼれ落ちていったが、いったい何のために? あともう1つメッセージに返信し、あともう1つやることリストから項目を消すために?

 これに気づいた僕は、心底がっかりした。なぜって、僕はそれまでバランスのとれた生活をめざして努力してきたつもりだったからだ。

「生産性の向上」も「効率」も意味がない

 このころ、僕は生産性と効率性の達人を自負していた。勤務時間をそこそこに抑え、毎晩夕食に間に合う時間に帰宅した。理想的なワークライフバランスだと思っていた。

 でももしそうなら、なぜ8歳の息子にうわのそらだと見抜かれたんだろう? 仕事をコントロールできていたはずなのに、なぜいつも気ぜわしく、気が散っていたのか? 朝200通あった未処理メールを深夜までにゼロにしたからといって、充実した1日だったと本当にいえるのか?

 そして僕は、はたと気づいた。

 生産性を高めたからといって、いちばん大事な仕事をしていることにはならない。たんに他人の優先事項にすばやく対応しているだけなのだと。

 僕はネットをいつも気にしていたせいで、子どもに正面から向き合っていなかった。

 本を書くという「いつかやりたい」大きな目標も、ずっとあとまわしにしていた。実際、1ページもタイプしないまま数年がすぎていた。誰かのメールや誰かの更新情報、誰かのランチ画像の海で立ち泳ぎするので精一杯だった。

スマホから「あれ」をなくすだけ

 僕は自分にがっかりしただけでなく、猛烈に腹が立った。怒りにまかせてスマホからツイッター(現エックス)、フェイスブック、インスタグラムのアプリを削除した

 ホーム画面から1つアイコンが消えるたび、心の重しが取り除かれるような気がした。

 それからGメールのアプリを見て歯ぎしりした。なぜって、当時僕はグーグルにいて、Gメールのチームで何年も開発に取り組んでいたのだ。僕はGメールを愛していた。それでも心を鬼にした。

 そのとき画面に表示されたメッセージを、いまも覚えている。信じられないとでもいうかのように、本気でアプリを削除するつもりなのかと聞いてきたのだ。

 僕はゴクリと唾を飲み込み、「削除」をタップした

仕事ができない人に限ってつい使ってしまう「スマホアプリ」とは?イラスト:docco

便利だけど豊かではない

 アプリがなくなったら不安や孤独を感じるのではないかと思っていた。その後の何日かで、たしかに心に変化があった。といっても、ストレスを感じたんじゃない。むしろホッとして、解放感を覚えていた。

 ほんの少しでも退屈するとiPhoneに反射的に手を伸ばすクセがなくなった。子どもたちとの時間は、いい意味でゆっくりすぎていった。「なんてこったい」と僕は思った。

「iPhoneですら毎日を豊かにする役に立っていなかったのなら、ほかはどうなんだ?」

 僕はiPhoneと、iPhoneがくれる未来的な能力を愛していた。でもその能力とセットでついてきたデフォルトをそっくりそのまま受け入れたせいで、ポケットのなかのピカピカのデバイスにいつも縛られていたのだ

(本記事は、ジェイク・ナップ ジョン・ゼラツキー著『とっぱらう――自分の人生を取り戻す「完璧な習慣」』からの抜粋です)