「何か歌って」野性爆弾くっきー!が妻の両親と初カラオケ、ドン引きされた一曲とは野性爆弾 くっきー! Photo:SANKEI

お笑いだけでなく、ファッションやアートでも個性のきらめきを見せる、芸人くっきー!。その独自のスタイルを育んだものはなんだったのか。思春期の彼の感性を刺激した、昭和・平成の音楽シーンを振り返ろう。※本稿は、野性爆弾 くっきー!『愛玩哲学』(ポプラ社)の一部を抜粋・編集したものです。

カラオケボックスの元祖
かつて流行ったコンテナカラオケ

 そういや、コンテナでカラオケ(注1)ってのをはじめてやって流行らせたって人に会ったことがありますな。今は東京で喫茶店をやってございますの方。クールな元不良って感じで憧れるぅ。

 私らが中坊のガキの頃、琵琶湖大橋道路沿いに、そのコンテナカラオケが発動したんでございます。リモコンなんて無く、機械に直接数字を入力して、100円入れて歌ってございましたな。確かレーザーディスク(注2)。ソレから数年でラブホを改装したバージョンから今のカラオケボックスになったという認識。今でもゴリゴリの地方行ったら、まだレーザーディスクのとこはあるのかしら。

 声が砂飲んだくらいガサガサのママがいてねぇ。そうゆうのもいいですな。しかし私はパンク以外はNOタイプだったので、歌う曲には困りましたがね。

 はじめてワイフのご両親とカラオケに行った時に「なにか、歌ってみては?」って言われて、THE STAR CLUB(注3)の『BLACKGUARDANGEL』を歌った時はゴリのドン引きでございましたよ。いやー自分、パンクっしょっ。

(注1)コンテナでカラオケ:船舶用コンテナを改造したカラオケボックス。1985年に岡山県でトラック用のコンテナを改造したのが最初だと言われている。
(注2)レーザーディスク:映像と音声を記録、再生できる直径30㎝のディスク。
(注3)THE STAR CLUB:1977年結成のパンクバンド。
コンテナカラオケ同書より転載