技術ゴリゴリの世界から
人間学研究へ
大江:そのような矛盾を孕んだ状態から、どのように3回目のフライトへ向けて立ち直ったのでしょうか。
野口:結局何がきっかけになったのだろうかと冷静に考えると、そんな行き詰まった状態からいったんタイムアウトできたことでしょうね。具体的には理系の世界、技術の世界を離れて、文系の世界に逃避したことだろうと思います。僕はもともと理系で、科学も好きだし技術も好き。JAXAにいて、ずっとそういう世界で生きてきたわけです。
そして当時、KPI(重要業績評価指数)のような指標に縛られることが多くなって、少なくともこのままではここにはいられないと感じた時にたまたま出会ったのが、JAXAと京都大学が共同で行っていた宇宙の人間学研究でした。
京都大学の哲学や心理学の先生、名古屋大学や慶應義塾大学の先生などもいらっしゃいまして、宇宙体験を科学技術的ではなくて人文学的に捉え直そうという研究を細々とやっていたんですね。僕は2回目のフライトが終わった後、その先生方に宇宙体験の話をしに行ったんです。
宇宙体験を人文学的に捉えるというのは、立花隆先生(編集部注:日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家)の『宇宙からの帰還』の切り口にも当然重なります。
僕はそれまでずっとテクニカルな世界、新型宇宙船だのISSの運用だのという技術ゴリゴリの世界にいたのですが、興味の対象として、宇宙体験という不思議な体験が自分の中にどう蓄積して自分を変えていくかを見たいという思いもあったんです。研究に触れるうちに、自分がそのような内省的なきっかけを欲していたんだとわかってきました。
ですから、そこでJAXAは辞めず、この人間学研究にもう少し深く関わりたいと思うようになりました。それがいわゆる当事者研究(編集部注:自分で自分の経験・障害・病気などについて、客観的に見直す手法の研究のこと)につながっていったんです。
人間は半径5メートルの中で
悩み、苦しむもの
野口:結果的には組織を変わることなく、ゴリゴリの科学技術を扱う部門から、宇宙のいろいろな成果を利用するような仕事に変わったんです。普通は、宇宙実験を教育に使おうという話になるんですが、僕の場合にはそれをもう少し進めて、宇宙体験を人文学として深めることも大事だよねという活動に置き換えたということです。