野口:その頃、JAXAの理事長が面白い研究にお金を出すという企画が始まりました。理事長に研究計画をプレゼンして認めてもらえたら、まとまった資金を出してもらって自分のしたい研究ができるという制度があったんです。

 研究期間が終了したらその成果を理事長に報告すればよいという、社長プロジェクトのようなものですね。それをさせてもらって、宇宙飛行士の訓練をする一方で、わりと自由に人文研究を行うことができたんです。

 そのおかげで、細かい「てにをは」にこだわるような現場から離れて、京都大学に行ったり、工学部の先生や心理学部の先生と話をしたり、それまでとまったく違う環境に身を置くことができました。一種の逃避であるのは確かですが、京都に行って心理学の先生と話すだけでも視点がまったく変わりますし、そういう仕事の変化に救われたというのはありました。

大江:宇宙体験の研究をするということで、つらい現場から離れたわけですね。

野口:ここを離れないと自分が削られると感じると、普通は退職しかないわけですよ。

「この職場、もうムリ…」宇宙飛行士・野口聡一氏を“燃え尽き”から救った「意外な逃避先」とは『自分の弱さを知る 宇宙で見えたこと、地上で見えたこと』(野口聡一・大江麻理子 光文社新書)

大江:けれども、野口さんの場合は、うまい具合にもう1つの居場所を見つけられたと。

野口:だから、まず自分の周りの景色を変えてみるというのは悪い手段ではないと思うんですね。一見、逃げに見えるような一手であっても、まさに人間は半径5メートルの中で悩み、苦しむので、違う半径5メートルに行くだけで一気に悩みが解決するというのはよくあることだと思います。

 出張で京都に行ったり、京大の先生に来てもらって話をしたりと、物理的にどこかへ行って景色を変えるということだけではなくて、話す相手が変わるだけでも結構変わるものなんです。仕事のベースは相変わらずつくばだったのですが、これで本当に救われました。