「音楽といっしょかなとおもっています。同じプレイをより正確に演奏するクラシックがあったけど、それに飽き足らない人たちが出てきてジャズが生まれ、さらにブルースも生まれました。そこに誰もが満足するわけではなくて、さらにロックが生まれ、ハードロックも生まれてきました」

 一条校というクラシックに満足できない小針さんのような人が新しい学校をつくり、その学校にも満足できない人がさらに新しい学校をつくる。そういうふうになっていくのではないかというのです。そして、子どもたちは自分に合う教育を選択していくことになります。そうなってこそ、「多様な学び」が実現されるはずです。

 文科省は「誰一人取り残さない教育」を提唱して、そのために不登校対策にも力を入れていくと公言しています。しかし、教育がクラシックだけでは、どんなに不登校対策をしたところで、全員がクラシックが合うようになるわけではありません。不登校をなくすことはできないのです。

 クラシックをやりたくないのに無理やりやらせようとしてもダメで、ジャズが合う子にはジャズの学校、ハードロックが合う子にはハードロックの学校が必要です。一条校が合わない子には、その子に合う学びの場を用意することが必要で、それこそが「誰一人取り残さない教育」のはずです。

 しかも、それは多様でなければいけません。ジャズもブルースもハードロックも必要なのです。そうした、ほんとうの意味での学校の多様化が進んでいけば、不登校という言葉などいらなくなるはずです。