「この戦争さえなかったら――」千尋が兄に語った、ひとりではできない“今生の願い”【あんぱん第54回レビュー】

京都帝大の仲間に流された千尋
海軍に志願する「ノリ」の疑問

「兄貴もあの場にいればわかる。みんなが行くのにひとりだけ行かないわけにはいかなかった」

 例えば、八木(妻夫木聡)などはこの時代の喧騒に流されず冷静である。一方、日本を代表する優秀な京都帝国大学の生徒たちがこんなに戦争戦争と「合コン行くんや」「やっぱり一流企業や」的なノリで大騒ぎしていたかと思うと筆者の心は冷えた。いや、ここはもしかして、現代の戦争を知らない人たちのノリへの批評的な描写なのだろうか。

「どうしちゃったんだよ」

 あのやさしく知的な千尋が勇ましく戦争に行く、しかも駆逐艦に乗るなんて、嵩には信じられない。千尋がやるべきは、潜水艦に乗って敵を攻撃することではないだろうと説得を試みる。

「何のために生まれて、何のために生きるか」

 寛(竹野内豊)の言葉を引いても、千尋の心はがんとして動かない。

「行き先は南方や。もう後戻りはできん」

 千尋は愛する日本の自然や人々を守るためと、決意は固い。まるで、真面目な人ほど極端になってしまう見本のようである。唯一、このとき、千代子(戸田菜穂)のほかに「おしんちゃん」の名前も出たのは嬉しかったが、あんなに嫌っていた登美子(松嶋菜々子)の名前も出て驚いた。本当は慕っていたのかもしれない。

 戦場に出る決意の固い千尋は、父・清(二宮和也)の形見の手帖を渡す。自分は写真を持っていた。幼い頃、養子に出されたときから持っていたものだった。

「最後になにかばかみたいなことをしないか」と嵩は提案する。昔は相撲や柔道をしたなあと思い返すが、千尋はもう兄を腕力でやっつけるようなことはしたくない。

「わしはもういっぺんシーソーに乗りたい」と言う。

 幼い頃、ふたりで乗ったシーソー。

「シーソー」は、嵩のモデルであるやなせたかしの詩にもあるキーワードで、ひとりぼっちではできないものの象徴である。

 ひとりではできないが、

「一方があがれば
一方がさがり
いつも水平になれなかった」

 そんな哀しみも同時に抱えている、そんな矛盾をはらんだ遊具がシーソーだ。

 この場面の千尋のつぶらなやさしい瞳が印象的だった。