
やなせたかしの詩には
嵩と千尋の名前の由来が書かれている
やなせの詩「海彦・山彦」には「つぶらな瞳をしていくぶんかまぶしそうにはにかみながら」という一節がある。この場面の中沢元紀はこの一節そのものに見えた。まぶしそうなつぶらな瞳!
「海彦・山彦」の詩は、嵩と千尋の名前の由来が書かれてある。嵩は中国の山の名前で、千尋は海を表す言葉。嵩は陸軍、千尋は海軍に入ったとはなんとも皮肉である。
シーソーにはのぶも乗っていた。そこから千尋は、のぶへの思いを吐露する。
いままでずっと黙っていた、本心をついに語るのだ。ひとりでできないシーソーから、たったひとりの特別に大好きな人のことを思い出したのだ。シーソーは兄との特別な思い出であってほしかった。残念。
「もういっぺんのぶさんに会いたいにゃあ」
のぶのことをひそかに好きだった千尋。嵩とのぶが結ばれれば身を引くつもりだったが、「おめおめと」ほかの男性にとられて、と嵩を叱る。「おめおめ」って。
千尋も次郎(中島歩)と話せば、彼の知性や性格の良さを好ましく思うはず。これもまたこの戦争がなかったら、もっとわかり合えていたかもしれない。残念。まあ、この点に関しては嵩の度胸があまりになさすぎた。
千尋「もし生きて帰ってきたら今度こそのぶさんをつかまえる」
嵩「何言ってるんだ彼女は人妻だぞ」
千尋「構わん」
このどシリアスな状況で、なぜ、この会話。まあ、確かに嵩が望んだように「ばかみたいな」会話になっているといえるだろう。
悲劇的な場面にいくぶんユーモアも感じさせる、なかなかトリッキーな脚本である。
「なんのために生まれて 何をして生きるかが、わからんままおわるらあて そんながは嫌じゃ」
千尋のセリフは「アンパンマンマーチ」の歌詞そのもの。どういうテンションで見ていいのか、いささか戸惑う視聴者もいるのではなかろうか。