
三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第186回は「お金」の本質を掘り下げる。
「お金の好きな方、手を挙げてください」
主人公・財前孝史は投資部伝来の格言ノートに新たな文言を書き加えようと思い立つ。道塾学園創設者の藤田金七や自身の曽祖父である初代主将・財前龍五郎の想いを重ね、「金を愛せ」という文句をひねり出す。
講演の冒頭で私はたまに「お金の好きな方、手を挙げてください」と聞く。少し照れたような笑顔まじりで挙手する人が多い。ほとんどの人はお金が好きだし、いくらあっても困ることはないと考えている。
もし「お金を愛している人はいますか」と聞いたら、どんな反応が返ってくるだろうか。おそらく、よほどの露悪趣味か天邪鬼の人以外、誰も手を挙げないのではないか。
人生、金じゃない。金銭崇拝は忌むべきものだ。お金があっても幸せになれるとは限らない。
どれも正しい。しかし、同時に、以下の文言もまた正しい。
お金抜きで人生は成り立たない。行き過ぎた金銭忌避は弊害が大きい。お金がないだけで人は簡単に不幸になる。
私はお金との付き合い方の要諦は、さじ加減、距離感だと考えている。バランス感覚と言っても良い。
それはどこか人付き合いに似ている。人間関係がうまくいかないのは、人との距離感がおかしいケースがほとんどだ。近すぎても、遠すぎても、調子が狂ってしまう。
お金との関係と人付き合いの違いは、目的と手段の位置づけだ。お金は単なるツールであり、何かをやるための手段でしかない。お金が目的だと思ったとたん、人生はおかしな方に向かう。
お金は「メディア」

一方、人間関係はそれ自体が目的あるいは生きる意味であり、人とのつながりを「目的のための手段」ととらえるのは味気ないし、誤りでもあるだろう。
たとえ仕事の上でのつながりであっても、それを一期一会のご縁と思うか、単なる利害関係と割り切るかで、共同作業する時間の重みは変わってくる。
両者の相似と相違から、お金の本質が浮かんでくる。お金とは、突き詰めると、人と人をつなぐ媒介(メディア)なのだ。しかも、単に人と人の間を取り持つだけではない。お金というメディアには、時空を超える強力なパワーがある。
財前が思い当たったように、道塾を遠い未来まで支えたいと思ったからこそ、金七と龍五郎は投資部という枠組みをつくり、お金のリレーをつないだ。
昨今の関税騒ぎで逆風が吹いているとはいえ、我々の日々の生活はグローバル化した世界の豊かさに支えられている。海の向こうの見知らぬ人と貿易という互恵関係を結べるのは、お金という媒介者のおかげだ。
冒頭の問いに戻ろう。「お金を愛しているか」と問われる時、私たちの頭に浮かぶのは自分自身だけとお金の関係であり、「愛する」という表現は金銭を手段ではなく目的とはき違えているニュアンスが濃い。
では「お金という仕組みを素晴らしいと思うか」と社会全体に視野を広げた問いに読み替えたら、あなたはどう答えるだろうか。私は、自著『おカネの教室』に記した通り、お金は人間が互いに支え合わないと生きていけない存在であるが故に生まれた知恵の結晶だと思っている。

