
「生きちょってえいがやろうか」の応対に見る
朝ドラ絶対王者『おしん』との違い
焼け跡の唯一のオアシスのように木が一本立って、ベンチがふたつ並んでいる場所にふたりは座る。次郎(中島歩)の死を知っていた嵩にのぶは、教師を辞めたと明かす。そして子どもたちに間違ったことを教えてしまった悔恨を語る。
「うちは 子どもらあに取り返しのつかんことをしてしもうたがや」
「うちは立ち止まらんかった。立ち止まって考えるのが怖かったがよ」
「あの子らの自由な心を塗りつぶして。あの子らの大切な家族を死なせて。うち生きちょってえいがやろうか。うちは…生きちょってえいがやろか」
「生きちょってえいがやろうか」を2度繰り返すことで、のぶの苦しみの深さがわかる。
日本が勝つと信じて子どもたちを戦争に仕向けてしまったことを深く苦しむのぶ。自分だけ生き残っていてよいのかと悔やむ。真っすぐ走る性分が立ち止まることをさせなかったのだろう。この時代、価値観がオセロゲームのように白から黒にひっくり返って、人々は戸惑ったようだ。
朝ドラ絶対王者『おしん』(1983年度)では、おしんの夫が戦争に加担していた(戦争に関わる商売をして稼いでいた)ことを悔やみ責任を感じて戦後自ら命を絶ってしまうというショッキングなエピソードを描いている。おしんは夫を止めることができなかった。
この夫の人生の選択と、そのときのおしんの受け止め方に関して拙著『みんなの朝ドラ』(講談社現代新書)でも注目している。それだけ鮮烈だったのだ。
でも、2025年の朝ドラでは、嵩はのぶを止める。この違いは重要である。
「のぶちゃん 死んでいい命なんてひとつもない」
いい場面、いいシーン。これは第62回の釜次(吉田鋼太郎)の「お国のためじゃろうとなくしてええ命はひとつもない」というセリフの受け売りである。だがそのあとののぶの「うちどうすればよかったやろか」に対して「どうすればよかったのか。僕もそればかり考えてたけど…わからない」
これは嵩のオリジナルである。
「~~それが自分に問いかけることしかできないんじゃないかな。新しい世の中になっても問い続けるしかないよ。正しい戦争なんかあるわけないんだ。そんなのまやかしだよ。そのまやかしの正義で敵も味方も仲間も大勢死んだ」
ここは嵩が体感から発した言葉だ。
「この戦争さえなかったら わしは愛する人のために生きたい」と言っていた千尋のことを語る嵩。千尋が愛していたのはのぶだが、そのことは伏せる。
「だから正義なんか信じちゃいけないんだ。そんなもの簡単にひっくり返るんだから。でももし逆転しない正義があるとしたら、すべての人を喜ばせる正義。僕はそれを見つけたい。千尋のためにそうすることしか僕はできない。何年かかっても何十年かかってもみんなを喜ばせたいんだ」