次に気になったのは、弓の顛末を話した女性が「普段、日本人とは付き合わないし、付き合いたいとも思っていない」と語り、さらに「この一件をきっかけに、その日本人の子どもは楽団の練習に来なくなった。おそらく親に叱られて嫌になったのではないか」と話していたことだ。

 日本に住みながら、日本社会と接触しないということは、日本社会の常識や考え方などは、彼らにとってはあまり関係がないということだ。「体は日本にいるが、心や価値観は中国にある」という生き方をしている。そして、こうした価値観を日本に持ち込み、他人にも押しつけているから、こういう発言をしたのだろう。

中国人からも批判の声が

 この動画や発言について、中国人はどう見ているのだろうか。

「『日本人が自分の英語力に圧倒され、支配されている』なんて、完全に思い込みでしょ。自意識過剰だね」

「その日本人の子どもの親は、英語ができないのではなく、面倒なことに巻き込まれたくないから距離を取っているだけで、あなたに従っているわけじゃないでしょう」

「日本に住んでいるのに、日本語を学ばず、日本社会を理解せず、英語を自慢するなんて本末転倒。そのうち孤立するよ」

「私は長年日本で暮らしているが、日本人の英語の発音はそれほど良くないかもしれないが、読解力のレベルが高い。しかも、私の周りには英語ができる日本人もたくさんいる。日本人の英語力を軽く見てはいけない」

 また、別の在日中国人は、次のような現実的な指摘もしている。

「これは英語云々ではない。問題は、30万円もする弓を子どもに持たせ、楽団で使わせていることでしょう。普通の日本人の親なら、集団生活で使うのにそんな高価な物を与えないだろうし、仮に高価な物を持たせたとしたら、万が一破損やトラブルが起きて賠償が必要になったときには、自分で一部負担するだろう。相手の子が楽団に来なくなったのは、あなたのような人と関わりたくないから。周囲の保護者も、自分たちの子どもを、あなたの子に近寄らないようにいうだろう」

増加する移住者と問われる共生の力

 現在、日本に移住する中国人は年々増加している。特に「経営・管理」という在留資格が問題視されている。このビザは「家族帯同」が可能なので、子どもと一緒に日本に移住してくるケースがほとんどだ。

 家族で暮らしている以上、いくら「日本社会と関わりたくない」と考えても、それは現実的には不可能である。子どもが学校に通えば、保護者同士の関わりも必要になり、近隣住民との付き合いも避けられない。

 日本人にとっても同じことだ。隣に中国人が引越してきたり、自分の子どもが通う学校で、中国人の子どもがクラスに入ってきたり、といったことも増えるだろう。そうすれば避けては通れず、お互い関わらざるを得なくなる。

 長年中国で培ってきた価値観をそのまま日本に持ち込む人も増えており、こうした中国人の「常識・普通」は日本ではそれが「非常識・迷惑」と受け止められる。そうなれば、衝突は必至だ。

 今後、異なる価値観を持つ人々が共に暮らしていく社会においては、「違う価値観の人同士で、どう接すれば対立を避け、ルールを共有できるのか」が重要になる。そのためには、行政による制度づくり、そして日常的な対話の場を増やすことが必要不可欠なのではないだろうか。