そりゃ西洋人もビックリだわ…江戸時代の日本、世界もうらやむ教育大国だった!『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク

三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第66回は「日本とヨーロッパの教育システム」について、歴史から学ぶ。

海外に比べて圧倒的に高かった「江戸の就学率」

 天野晃一郎の母は、子育ての悩みを、東大合格請負人・桜木建二に相談する。すると桜木は、江戸時代の寺子屋などを引き合いに出し、日本の教育システムの歴史について力説した。

 ご存じの方も多いと思うが、寺子屋とは、江戸時代に存在した庶民向けの私的教育機関だ。地域の知識人や僧侶、浪人、町人などが教員となり、子どもたちに「読み・書き・算盤(そろばん)」などの実用的な知識を教えていた。

 その数については明確な統計が残されていないが、幕末期には全国で1万〜1万5000カ所ほど存在したと推定されており、人口規模に対して極めて高密度で庶民教育が普及していたことがうかがえる。

 この寺子屋システムは、本当に世界でも類を見ないものだったのだろうか。

 マンガ本編で桜木は、日本研究家スーザン・B・ハンレー氏の見解を引きつつ、江戸の就学率を70〜86%、1837年におけるイギリスの大工業都市の就学率を20〜25%としている。

 もちろん、就学率の算出基準や識字の定義には違いがあるため、単純な比較はできない。だが、当時の欧州諸国において庶民教育がまだ宗教や慈善による限定的なものであったことを考えると、日本の寺子屋文化は際立っていたと言える。

 何より特筆すべきは、これらの庶民を対象とした教育が幕府や藩などから強制されることなく、地域の自発性によって維持されていた点だ。寺子屋は国家制度に組み込まれたものではなく、あくまで地域住民による「草の根的な」教育機関であった。

 近世の多くの国々では、教育は上流階級や宗教指導者に限定されるものであり、庶民が学ぶ機会はほとんど存在しなかった。国家が本格的に義務教育制度を整備したのは19世紀以降のことであり、その背景には、近代国家が国民に「正しい」国民意識や統一的価値観を植え付ける必要があったことがある。

「寺」と名は付くが…宗教色の薄さも異彩を放つ

漫画ドラゴン桜2 9巻P49『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク

 そうした近代的なナショナリズムと比べると、江戸期の寺子屋にみられる教育の動機は極めて実利的だった。

 寺子屋の教育内容は、儒教的道徳を含むものもあったが、基本的には実学重視である。商家の子どもには帳簿をつけられるようにそろばんを教え、そうでなくとも基本的な読み・書きを習得できるようにしていた。だからこそ、「黄表紙」「洒落本」などの庶民向け文学も発展したのだろう。

 授業で使われる教材も『庭訓往来』『商売往来』など生活や取引に直結するものが中心で、学問を抽象的な教養として学ぶというより、「生きるための道具」として扱っていた点に特徴がある。

 宗教教育が前提でないことも特徴の一つだ。「寺」子屋と名前の付く通り、舞台が寺院の境内であったことは多いが、先述した通りその教育の内容や目的は宗教色が比較的薄い。

 一方、同時代の西洋の教育は、キリスト教の教会主導でラテン語や聖書中心の宗教教育が主流であり、イスラム圏でもモスクに付属するマドラサ(教育施設)でコーランの暗唱やイスラム法の初等教育が行われていた。そうした教育と比べ、日本の寺子屋はあくまで「地域の日常生活に根差した教育」として展開された点で異彩を放っていた。

 もちろん今の小学校は、江戸時代に比べてはるかに高度な内容を取り扱っており、識字率も事実上100%に達しているとされる。しかし、教育制度がどれほど整備されても、地域共同体が自発的に子どもたちを育てようという意識が薄れてしまえば、教育そのものの力もまた損なわれかねない。

 地域で生活に根ざした学びを支えるという寺子屋精神は、現代にもなお通じる普遍的な価値を持っているのではないだろうか。

漫画ドラゴン桜2 9巻P50『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク
漫画ドラゴン桜2 9巻P51『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク