エリクソンがまだ学生だった頃の話です。ウイスコンシン州の田舎道を友人と歩いていると、エリクソンたちは道にはぐれた馬に出会いました。友人は「馬を飼い主のもとへ届けよう」と言いますが、その馬が「どこから来た、誰の馬なのか」はわかりません。

 どうしようかと困っている友人に対して、エリクソンは「簡単だよ」と言い、その馬に飛び乗りました。そして、馬をどこへも「誘導」せずに、ただ馬が行きたい方向へ自由に歩かせたのです。エリクソンが唯一したことは、危険な崖や車が走る道路を避けることだけでした。すると、なんとその馬は、自分の力で無事にたどり着いたのです。

 つまり、「馬は“帰り道“を知っていた」ということです。果たしてこれが実話だったのかどうかはわかりませんが、「ノット・ノーイング」の意味を伝えるエピソードであることは間違いありません。

部下の自然な「成長」を促す唯一の方法

 私は、この「ノット・ノーイング」は、上司と部下の関係にも当てはまると考えています。「上司は部下のことを何も知らない。部下は自分がどうすればいいかを知っている」。この認識をもたず、上司が「自分の正解」を部下に押しつけることによって、どれだけ多くの問題が生じてきたことかと思います。

 上司にとっての「正解」は、必ずしも部下にとっての「正解」ではありません。だから、上司はまずは「自分の正解」を脇に置いて、部下の話に耳を傾けたほうがいい。そして、部下と一緒に「正解」を探しにいったほうがいいのです。

 もしかしたら、上司が見つけた「正解」とは、全く違う方向に部下は考えを進めようとするかもしれません。そして、もしかしたら、それは、上司にとっては好ましくない方向性かもしれません。

 しかし、大切なのは、上司にとって好ましい「方向性」であることではなく、部下にとって好ましい「方向性」であることです。上司にとっては、まどろっこしくて、手間がかかる「方向性」かもしれません。そして、「こっちに進んだら、ショートカットできる」とわかることもあるでしょう。でも、その「回り道」こそが、部下にとって最適なプロセスなのかもしれないのです。

 もちろん、エリクソンが、馬が危険な崖や車が走る道路に近づかないように気をつけたように、部下が致命的な「失敗」を犯さないように注意を払う必要はありますが、そうでない場合には、なるべく部下が進みたい「方向」に足を進めた方がいい。

 大切なのは、部下が「これだ」と思うことをやってみて、何が「正解」かを自分の力でつかみとることです。そのプロセスを部下が歩めるようにサポートすれば、部下は必ず「自分なりの正解」にたどり着くと思うのです。

 そして、そのプロセスを部下と一緒に歩き、部下と一緒にその景色を楽しみ、同じ時間を過ごす。このようなスタンスを身につけることができれば、部下の自然な成長を促すことができるはずだと思うのです。

「正解」とどう向き合うか――。この姿勢を見れば、「部下を伸ばす上司」か「部下を潰す上司」かを見分けることができるのです。

(この記事は、『優れたリーダーはアドバイスしない』の一部を抜粋・編集したものです)

小倉 広(おぐら・ひろし)
企業研修講師、公認心理師
大学卒業後新卒でリクルート入社。商品企画、情報誌編集などに携わり、組織人事コンサルティング室課長などを務める。その後、上場前後のベンチャー企業数社で取締役、代表取締役を務めたのち、株式会社小倉広事務所を設立、現在に至る。研修講師として、自らの失敗を赤裸々に語る体験談と、心理学の知見に裏打ちされた論理的内容で人気を博し、年300回、延べ受講者年間1万人を超える講演、研修に登壇。「行列ができる」講師として依頼が絶えない。また22万部発行『アルフレッド・アドラー人生に革命が起きる100の言葉』や『すごい傾聴』(ともにダイヤモンド社)など著作49冊、累計発行部数100万部超のビジネス書著者であり、同時に公認心理師・スクールカウンセラーとしてビジネスパーソン・児童生徒・保護者などを対象に個人面接を行っている。東京公認心理師協会正会員、日本ゲシュタルト療法学会正会員。