超一流スポーツ選手に共通する「思考法」を学び、ビジネスエリートになるための1冊『超☆アスリート思考』が発売された。この記事では、同書にも登場する女子テニス元世界ランキング4位の伊達公子さんに、「勝ち負けよりも大切なこと」を見つけた瞬間を振り返っていただく。1996年フェドカップでの女王・グラフとの3時間25分に及んだ激闘の中で、伊達さんは何を感じ、コートに立っていたのか?
(インタビュー/金沢景敏 構成/前田浩弥)

【テニスプレイヤー・伊達公子さんが語る】女王グラフとの死闘で体感した「勝負を超えた幸せ」とは?伊達公子さん
1970年京都府生まれ。6歳でテニスをはじめ、高校3年生の時のインターハイでシングルス、ダブルス、団体の三冠を達成。卒業後、プロ転向。全豪、全仏、全英でベスト4に入るなど世界のトップで活躍。1995年には自己最高の世界ランキング4位を記録するも、翌年26歳で現役を引退。2008年、11年半のブランクを経て現役復帰。日本テニス界を牽引してきたが、2017年に二度目の現役生活に終止符を打つ。

――1996年フェドカップでのグラフとの死闘は、今でもテニスファンの間で語り草になっています。フェドカップは国別対抗戦であり、のちに伝説となる一戦は「日本対ドイツ」の第3試合。前日の対戦を終えて日本とドイツは1勝1敗のイーブン。そして、第2日目についに両国のエース同士の対戦が実現したわけです。しかし伊達さんは、前日に左足を負傷していて、決して万全ではありませんでした。まさに絶体絶命の状況で、それまで一度も勝ったことがない女王グラフに挑んで、3時間を超える壮絶な戦いの末、勝利をおさめました。すごい試合でした。

「致命傷ではない」とわかっていたから、無茶ができた

 忘れられない一戦ですね。

 左足は痛みましたが、あのとき、私がグラフと戦わなければ、日本がドイツに勝てる可能性はありませんでした。ある意味、日本がグラフのいるドイツに勝てる唯一のチャンスでもあったのです。だから、怪我していようが、100%の状態でなかろうが、私には「戦う」という選択しかありませんでした。

 それに、「選手生命が絶たれるような致命傷ではないよね」ということもわかっていました。ここで無茶をすれば、怪我が完治するまでちょっと時間はかかってしまうかもしれないけれど、致命傷ではないのなら、無茶しちゃおう――自分の中で、「テニスプレーヤー伊達公子」と、こんなふうに対話したのを覚えています。「致命傷ではない」という計算があったからこそ、ある意味冷静に、「無茶をする」という選択ができたわけです。

 試合後、確かに怪我は致命傷にこそならなかったものの、予想以上に長引き、1カ月ほどは歩くことすらできない日々が続きました。

 それでも私に、後悔はありませんでした
 もちろん「公式戦で初めて(結果的には最初で最後となりますが)、グラフに勝てた」という結果を得たのも大きかったと思います。
 しかしそれ以上に、あの日初めて満員となった有明コロシアムで、グラフとかけがえのない一戦を演じ、その興奮や緊張を観客のみなさんとシェアできたことも大きな喜びでした。

「勝ち負けをつけたくない」と感じた唯一の試合

 アスリートは誰もが、「勝ちたい」、あるいは「どちらが強いか決着をつけたい」と考えるものでしょう。
 私自身、1996年に一度、現役を引退するまでは、「勝つこと」「結果を出すこと」を強烈に意識したテニス人生を歩んできました。

 ただ、フェドカップでのグラフとの試合では、「勝ち負けをつけたくない」「このままずーっと試合をしていたい」という不思議な感覚を抱きながらコートに立っていました。

 もちろん足は痛むし、試合の中では緊張する場面も恐怖を覚える場面も次々にやってくる。でも不思議と、「逃げたい」という感覚はありませんでした。

 自分自身のテニスをここまで引き上げてくれるグラフに感謝し、「試合が終わってほしくない」「もしも試合が終わるなら、それはテニスの勝敗ではなく、実際、お互いに痙攣に襲われる中の試合だっただけにどちらかの痙攣がひどくなり倒れこんだり、怪我をして動けなくなったりしたときだろう。そのときまで私は立っていたい」と思いながら、コートに立ち続けていたのです。

「勝ち」を追い続け絶体絶命に追い込まれた状況で、「勝負を超越した感覚」に浸りながら試合することができたのは、テニスプレイヤーにとってこのうえない幸せだったと思います。

 もちろん、あのとき勝てたのは最高の思い出です。
 だけど、もしも、あのとき負けていたとしても、間違いなく、あの試合を戦ったことに満足感を覚えたという確信があります。あのとき私は、「勝つ」ために全力を出し切ることで、「勝負」を超えた喜びが与えられることを知ったのです(伊達公子さん/談)。

(このインタビューは、『超⭐︎アスリート思考』の内容を踏まえて行いました)

金沢景敏(かなざわ・あきとし)
AthReebo株式会社代表取締役、元プルデンシャル生命保険株式会社トップ営業マン
1979年大阪府出身。京都大学でアメリカンフットボール部で活躍し、卒業後はTBSに入社。世界陸上やオリンピック中継、格闘技中継などのディレクターを経験した後、編成としてスポーツを担当。しかし、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じ、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命に転職した。
プルデンシャル生命保険に転職後、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRTの6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な数字をつくった。2020年10月、AthReebo(アスリーボ)株式会社を起業。レジェンドアスリートと共に未来のアスリートを応援する社会貢献プロジェクト AthTAG(アスタッグ)を稼働。世界を目指すアスリートに活動応援費を届けるAthTAG GENKIDAMA AWARDも主催。2024年度は活動応援費総額1000万円を世界に挑むアスリートに届けている。著書に、『超★営業思考』『影響力の魔法』(ともにダイヤモンド社)がある。