正業の邪魔をしたのは、日本の警察でした。あの頃は東京のいろんなところで怒羅権を名乗るグループができたり、後輩たちが暴れたりしていて怒羅権の凶悪性が社会で大きな問題となっていた。

 警察はその取り締まりのために初代である俺をターゲットにし、何だかんだいちゃもんをつけて、正業の方にまで茶々を入れてきたんです。

 俺が逮捕されたのもクソみたいな罪状でした。年少者である従業員を深夜まで働かせていたということで『労基法違反』で捕まった。こんなの中小企業や個人事業主ならどこもやっているようなことでしょ。この一件があって、俺は正業をちゃんとやることが無意味なんだと知ってやめることにしたんです」

怒羅権とは根本的に違う
日本のヤクザの流儀

 暴力団については次のように語る。

「ヤクザの方は、20歳の頃に稲川会に招かれて入ったことがありました。たった数カ月でしたが、ヤクザをやってみて怒羅権のメンバーがこれをつづけるのは無理だなと感じましたね。

 ヤクザは組織の序列が細かく決まっていて、どんなに不条理なことでも上の人間に言われれば絶対服従です。シノギに関しても、他の組織とバッティングした時は相手のネームバリューや縄張りみたいなものを尊重しなければならない。ヤクザとしての文化や格を重んじる風潮があるんです。

 一方、中国で生まれ育った俺らにはそういう意識がないんです。誰が相手でも気に入らなければぶっ潰して、どんな手段でも使う。金が手に入ることなら何でもする。最悪、それで指名手配を食らったら中国へ帰ればいい。そんなスタンスなんです。

 日本人ならずっと日本で暮らしていかなければならないので、多少煩わしいことがあったとしても、ヤクザの流儀を守って生きていくでしょうが、俺らはそうじゃない。根本的に相容れない存在なんですよ。ヤクザをさっさとやめて、怒羅権として生きていくことにしたのはそのためです」

 正業をしようと思えば、警察からは怒羅権ということで邪魔をされ、暴力団に入ろうにも文化的に馴染むことができない。そういう中途半端な立ち位置が、怒羅権をより独特な存在にしていったのだろう。