だが、怒羅権のメンバーは違った。彼らは中国を出生地とし、中国語を母語とする者たちだ。家の中にあるのも中国文化だ。それゆえ、彼らは道を外れた際に、日本人と融合することなく、2世だけの集団を形成することになった。
日本の警察によって
正業の邪魔をされる
最初は喧嘩屋集団だった怒羅権は、メンバーが中学を卒業した頃から暴走族としての色を強めていった。深夜にバイクで暴走行為をし、別の暴走族と抗争を行い、恐喝などによって金品を手に入れる。
当時の東京には、葛西以外にも残留日本人が多く暮らす地域があり、それぞれ2世の不良グループがいた。東京中に怒羅権の名が轟くにつれ、そういう不良たちまでもが自らを怒羅権と名乗りはじめた。これによって、いつしか怒羅権は中国にルーツを持つ者たちの不良グループの総称となっていく。
佐々木が率いていた怒羅権の性質が大きく変わるのは、初期メンバーが成人してからだった。日本の不良文化の中では、暴走族として活動するのは18歳までで、それ以降は引退をして正業に就く道を進むか、暴力団などの反社会組織に加入するかの選択を迫られることになる。
だが、怒羅権のメンバーは日本語が不得意であるがゆえに正業に就きたくても就けず、かといって暴力団に入ったところで独特な縦社会の関係になじめるわけもなかった。そのため、彼らは成人した後も怒羅権のメンバーでつるみ、恐喝、車上荒らし、強盗といった犯罪をエスカレートさせるようになったのだ。暴走族から犯罪集団へと変容したのである。
「俺は正業もやったことがあるし、ヤクザもやったことがあるんです。正業は土建屋をやりました。自分で佐々秀工業という会社を作って、怒羅権の後輩たちを現場の仕事に送り出していたんです。俺も一緒になって現場で働いて汗水流してましたよ。
正業をはじめたのは、後輩たちが少しでも真っ当に生活できればとの純粋な思いからでした。残留日本人2世ってことでまともな仕事に就けないのなら、俺が働く場を用意すれば、苦労せずに済むだろうと思って立ち上げたんです。取引先に贈り物をして地道に信頼関係を作るなど、結構まめにやっていました。