佐々木はこの時の仲間の他に、日本語学級の2世を4人加えた7人でグループを作ることにする。どの家の親も低賃金の仕事を掛け持ちして忙しく、家族を顧みる余裕がなかった。子どもたちにしてみれば、そんな家から飛び出し、同じ境遇の者たちで昼夜を問わずつるんでいた方が寂しさを紛らわせることができたのだ。
メンバーは日本人相手に暴力を振るって自分たちの存在を誇示するだけでなく、経済的に恵まれなかったことから万引きや恐喝といった非行をくり返した。毎日のように江戸川区内の中学校へ押しかけては、そこの不良を叩きのめす。そんな彼らの悪名は区外にまで広まっていった。
「怒羅権」を結成した理由は
日本人への恨みではない?
佐々木らが自らのグループを「怒羅権」と称するようになったのは、高校へ進学した16歳の時だった。怒は「怒り」、羅は「修羅」、権は「権利」を示していた。ただ、佐々木自身は意図して2世だけのグループを作ったわけではないという。
「怒羅権を立ち上げたばかりの頃、メンバーに日本人は1人もいませんでした。でも、初めから2世だけのグループを作ろうとしていたわけじゃなかったんです。日本人を恨んで入れなかったというより、俺以外のメンバーはほとんど日本語ができなかったので、日本人と仲良くなって一緒につるむという発想自体がなかったんです。
また、よく日本人への恨みから怒羅権を作ったっていわれるけど、それもちょっと違います。俺らは日本人と同じように、当時流行っていた漫画やドラマの影響を受けて、不良に憧れて不良を目指し、族に憧れて族を結成しただけなんです。けど、先の理由でグループには2世しかいなかったから、喧嘩をすれば必然的に日本人の不良や族と対立することになった。
日本人との喧嘩の時は、いつも俺が先頭になっていましたが、俺が他と比べて突出して腕力があったからじゃありません。喧嘩を売るにも、カツアゲをするにも、それなりに日本語がしゃべれなければならないじゃないですか。周りが話せないから、俺が先頭に立って相手にいちゃもんをつけたり、金を持ってこさせたりすることになる。それで、気がついたら俺がリーダー格になっていたっていう感じなんです」
在日韓国・朝鮮系2世の場合は、日本で生まれ育っているので、生まれつき日本文化に通じているし、日本語も堪能だ。だからこそ、自然と日本の暴走族に加わったり、日本の暴力団と盃を交わしたりするのだろう。