「せっかく“いい会社”のはずなのに、毎日ぜんぜん楽しくない…」
あなたは今の職場で、「うまく言葉にならない“悩み”」を感じたことはないだろうか。「この会社で一生働くなんて無理…」「でも、他に“やりたいこと”もない…」「だから、しぶしぶ働いている…」そんな日々に「このままでいいのか?」と不安になったことも、一度ではないはず。
こんな“うまく言葉にできないモヤモヤ”を「見事に“言語化”してくれた!!」と話題なのが、新刊『「いい会社」のはずなのに、今日もモヤモヤ働いてる』だ。各所から共感が殺到している本書に沿って、今回は「キャリアのモヤモヤ」の正体について解説する。

東大生すらキャリアを見失う…「高学歴で優秀な人材」が落ちぶれる本当の理由が深すぎるPhoto: Adobe Stock

「人間の価値」が偏差値で決められる社会

偏差値――
本来は、学力を測るための、ただの数値にすぎなかった。
けれど、いつしかそれは、
「人間の優劣を判別するモノサシ」へと変貌していった。

「点数が高ければ、優秀」
「偏差値が高ければ、立派」

その価値観は、誰にも疑われることなく、
社会の常識として定着している。

そして、その頂点に位置づけられたのが――東京大学である。

「ハイスペックキャリア迷子」になる東大生たち

「東大に入れば、すべてがうまくいく」
そう信じて、歯を食いしばり、一直線に走り続けた。

――そして今、頂点に立ったまま、立ち尽くす人がいる。

「ハイスペックキャリア迷子」
けれど、その存在は、ほとんど語られることがない。

たしかに、東大というブランドは、“成功”の象徴である。
だが、その輝きの裏には、見えにくい「不自由さ」がある。

「東大に入れば安心」という信念が、
安定と引き換えに、“別の道を選ぶ自由”を静かに奪っていく。
安定を得てしまったからこそ、失うのが怖くなる。

「優秀であること」が目的化した先

そして気づけば――
「優秀であること」それ自体が目的になってしまう。
そうして、存在していたはずの「自分らしさ」を、見失ってしまうのだ。

自分のものだったはずの、人生の軸。
それが、他人の評価軸にすり替えられていることには、
そう簡単には気付けない。

こうして、自分を置き去りにしたまま、キャリアだけが静かに、進んでいくのだ。

(本記事は『「いい会社」のはずなのに、今日もモヤモヤ働いてる』の一部を編集・加筆・調整した原稿です)