
「普通は」「常識的に」と、つい口にしてしまうことは誰にでもある。だが、その言葉に縛られて身動きが取れなくなっている若者たちもいる。彼らにとって、それは生きづらさの一因ともなっているだろう。精神科医である筆者は、そんな繊細な若者たちにこそ、“バウンダリー(心の境界線)”に線を引くことの大切さを説いている。※本稿は、藤野智哉『人間関係に「線を引く」レッスン 人生がラクになる「バウンダリー」の考え方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋・編集したものです。
「みんな普通にできる」は本当?
一度立ち止まって考えてみよう
「自分なりに線を引く」ときに、ちょっと気をつけてほしいことがあります。
それは、意識をしていないとつい「普通はこうだから」「これが常識だから」という「普通」や「常識」などの言葉に惑わされて、「自分なり」の基準で線を引けなくなってしまうことです。
たとえば、次のようなことです。
・上司に誘われたら、普通は飲み会に参加する
・忙しいときに残業を断るなんて非常識
・後輩から「助けてほしい」と言われたら、アドバイスするのが普通
・待ち合わせ場所には、上司より先に着いているのが常識
・忙しいときに残業を断るなんて非常識
・後輩から「助けてほしい」と言われたら、アドバイスするのが普通
・待ち合わせ場所には、上司より先に着いているのが常識
こんなふうに言われると、「普通」や「常識」の基準に絶対合わせないといけないと感じてしまう人も少なくないのではないでしょうか。
だから線を引くうえで気をつけなければいけないのは、「普通」とか「常識」とか「すべき」という他人の価値観や考え方です。
それが邪魔して、「自分」が見えなくなってしまう人が多いのです。
「線を引く」ときに、次のような言葉が出てきたら、要注意です。
・普通
・常識
・みんな言ってる
・みんなできてる
・~すべき
・常識
・みんな言ってる
・みんなできてる
・~すべき
立ち止まって、「ほんとかな?」と考えてみてください。