「長男だから病気の親を引き取るのは当たり前だと思っていたけど、姉ちゃんがそうやって評価してくれて嬉しい」
提案してよかった。こうして姉弟間で役割分担が少しずつできていった。
病気の進行は予想以上に早かった。
翌年の2017年6月、母は4週間のリハビリを兼ねた検査入院をすることになった。
前日、私は池袋西武の地下にある精肉店で岩手のリブロース、三重の肩ロース、宮城の肩ロースを買ってから、弟の家に行った。母の好きなすき焼きをつくるためだ。食事の準備中、弟から「検査入院の終了後、静岡県の天城山の近くにあるホームに入居するかもしれない」と聞かされた。つまり、家で食事をするのは今日が最後になるかもしれないってことか。なんてこった。いい肉を奮発してよかった。
翌日、弟の車で小平市の国立精神・神経医療研究センター病院へと向かった。建物は新しく、スタッフはみな穏やかで感じよくて、母が心からホッとしているのが見て取れた。
弟の自宅からは車で片道20分の距離で、弟は翌日から毎日10分、顔を出した。私は鎌倉から2週に1度のペースで、2、3時間ほど見舞った。これも私と弟の役割分担だった。
カテーテル留置を固辞する
“介護される”母の気持ち
母は早々に「もう自宅療養は難しい」と診断された。寿命はあと5年と見込まれ、ケースワーカーと弟と私は、母の希望を考慮しながら、それぞれに施設を探し始めた。介護老人保健施設(老健)に1年いるあいだに、終末期を過ごせる特別養護老人ホーム(特養)を探す予定だった。
そんな中、母にとって「大きな事件」が起きた。担当医に「膀胱に尿を排出するためのカテーテルを留置したい」と告げられたのだ。
筋肉が徐々に衰えることで排尿しにくくなり、膀胱炎や腎臓の病気を発症する可能性が増し、悪化すれば集中治療も受けざるを得ないという話だった。だが、母は「絶対に嫌だ」と泣いて抵抗したらしい。
数日後、医師から説明を受けた弟と私は、説得を試みた。弟は「ゆるやかに終末期へ向かうカーブがあるとしたら、集中治療はガクンとそのカーブを下げて、終末を早める危険性がある。僕は命が短くなるのは嫌だ」と言った。