
病や老いは、時に家族の絆を揺るがせ、複雑な選択を迫る。親の残り少ない命の日々の何を受け入れ、どこまで見送るべきなのか。コロナ禍には病院や介護施設で暮らす家族に会えなかった人も多くいた。作家の堀香織氏が、そんな時期に別れを告げた父との最期を振り返る。※本稿は、堀 香織『父の恋人、母の喉仏 40年前に別れたふたりを見送って』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
父と3番目の妻の離婚
結局「2度あることは3度ある」
「お父さんと離婚する!」
2018年7月10日、父の3番目の妻であるヨウコさんから電話があった。「お父さん」とは父のことだ。
あれ?結婚して20年経っても「飽きない」って言っていたよね?父が脳梗塞を起こしたあとも、「ずっと世話したい」って言っていたよね?一緒に墓に入るんじゃないの?父の「三度目の正直」は、結局「二度あることは三度ある」になっちゃうの?
私にとってはまさに寝耳に水の知らせだった。
だが、よくよく話を聞くと、離婚はヨウコさんの希望ではなかった。
右半身麻痺で身体が自由に動かせなくなった父の苛立ちが募り、ヨウコさんも耳が遠くなって父の呼ぶ声に気がつかなかったりして、平穏だった日々が徐々に荒れ始めた。あいだに入ったケアマネジャーが介護施設への入居を促しても、父はまったく聞き入れない。それどころか、「俺はヨウコに殺される!」「オマエと離婚して、東京の香織と住むんや!」と言うようになったらしい。ヨウコさんは「香織、お父さんを説得して。私、離婚したくない」と電話口で泣いた。