
作家の堀香織氏は、母の看取りの日々を通じて病や老いに向き合う家族の役割を静かに見つめ直す。小さな気遣いやそばにいる時間が、どれほど心を支えるのか。介護や看取りの現場で感じた「本人の意思を尊重すること」の重みを描き出す。※本稿は、堀 香織『父の恋人、母の喉仏 40年前に別れたふたりを見送って』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
母の幸福な日々に
終止符が打たれた
母は2010年6月に、生まれ故郷の下田へと引っ越し、悠々自適な生活を送っていた。
私や弟は、年に2回ほど下田を訪れ、母も数回、私の家に泊まりに来てくれた。アメリカに住む妹も夏休みに家族を連れて、下田に来ていた。
母には恋人もできた。
静岡県在住のSさんと母が付き合い始めたのは2014年の夏だったと記憶している。
同じ年の11月、私は母の誕生祝いを兼ねて、東伊豆の温泉宿を1泊予約した。その最寄り駅に、母を車で連れてきてくれたのがSさんだった。マンションの管理人をしており、日曜日だけ中学生に英語の家庭教師をしているとかで、その日も背広にきちんとネクタイを締めていて、いかにも実直そうな人だった。
だが、Sさんはその見た目とは裏腹に、愉快な人だった。宿までの運転中、Sさんが何か言うたびに、母が「あー、おかしい」と泣き笑いする。無口でクールでどちらかといえばペシミストな母と、物知りで冗談ばかり言って周りを明るくする楽観的なSさん。まさに好対照だ。いい人ができて本当によかった、と私は安堵した。
しかし、そのような幸福な日々に、突如、終止符が打たれる。