私は「いま、これだけ辛い思いをしながら頑張っていて、さらに病気を増やすこともないんじゃない?」と言った。だが母は、「いまはまだ、看護師さんの付き添いがあれば頑張って自力で排尿できるから、装着したくない」と受け付けない。
そして、口の筋肉が衰えていて聞き取りにくいが、涙をこぼしながら、このようなことを言った。
「寝たきりになって1週間で死ぬ人、1ヵ月で死ぬ人、1年で死ぬ人、いずれも人それぞれ。残されるほうは『せめて1ヵ月は生きていてほしい』と願うものだけど、それは残されるほうの自分本位な感情で、患者の気持ちはまったく考えていない」
患者の希望と、病院や家族の要望とのあいだで、どこを落としどころにするのか。介護の中で大事なポイントはそこかもしれない。
母の本心を聞いて
家族の役割が見えた
弟と私は、母の意思を尊重することにした。担当医にそう話したところ、腎炎などの深刻な病気になるまではカテーテルは留置しないことになった。また、延命治療に関しては、病気の影響で声帯がいきなり塞がって呼吸停止する可能性も高いのだが、この時点では「人工呼吸器はしない。緊急時にも挿管しない。胃瘻もしない」ことを、みなで共有した。母は延命治療を「人間でなくなること」と感じていた。
大事なことは、「いま、本人がどうしたいか」を家族が理解し、尊重することだ。刻々と変わりゆく状況に、その都度、対応していくこと。そのため、本人の思いに常に耳を傾けること。
家族ができることなんて本当にそれくらいしかないが、それこそが家族の役割なのかもしれない。
10月初旬、ケースワーカーの尽力により、青梅市の「青梅三慶病院」に転院が決まった。
弟は車で片道1時間となり、週に1回通って、母の衣類の洗濯などを引き受けた。私は電車で片道3時間弱となったため、月に1、2回通って、半日程度を一緒に過ごした。
12月には介助なしでは食事が摂れなくなり、携帯電話への返信もあまりできなくなり、言葉もかなり聞き取れなくなった。