
夫婦の離婚は本人たちだけでなく、ふたりの子どもにも大きな変化と影響をもたらす一大事だ。かつて父と母の離婚を経験した作家・堀 香織氏が、当時の情景や心の動きを丁寧に綴る。※本稿は、堀 香織『父の恋人、母の喉仏 40年前に別れたふたりを見送って』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
初めて父と母の口論を
目の当たりにした朝
あれは小学3年生の春ぐらいだろうか。
ある朝、ものすごい音と声がして目が覚めると、ダブルベッドの上で、父が母に馬乗りになって「なんで、んなもん、なくせんて!」と怒鳴りつけ、母が泣き喚いていた。私は同じ部屋の2段ベッドの上段に寝ていて、上から見たその絵面は、さすがにちょっと忘れられない。それまで父と母は仲がいいと思っていたから、そのときは言葉を知らなかったけれど、まさに「青天の霹靂」だった。
のちに母に聞いた話によれば、母はこのころ金沢の片町という繁華街にできたばかりのエルビルの「CAT」というスナックでママをしていて、客のひとりと営業終わりに深夜映画に出かけ、さらに酒場で飲み、酔っ払って朝に帰宅したら財布がなく、それを父が咎めたのだという。でも、母が子どもを家に置いてスナックで働いていたのは、父が生活費を入れなかったせいだろうし、母だってたまには息抜きがしたかっただろう。父に母を怒鳴る権利はまったくない。むしろ私が父をどやしつけたいくらいだ。
それまで父と母は、子どもの前では仲がよい振りをしていたのか、この朝を機に隠す必要がなくなったとばかりに、ふたりの会話はなくなった。私たち姉弟はよく「きょうだい会議」を開いた。