「勉強ができる人」は
最上級に尊い存在
ところで、私の好きな「頭の良い人」はどういう人なのかというと、それは単純に「勉強が得意な人」である。私は「こんなこと勉強してなんの役に立つんですかー?」と生意気な小学生が小馬鹿にしそうな学問を一心不乱にやってきたような人が堪らなく好きなのだ。
私のなかで「勉強ができる人」というのは最上級に尊い存在で、そういう人が「東大出てても仕事はできない」などと嘲笑されているのを見かけると、私は東大出身でもないくせに勝手に腹を立ててしまう。
いつからこうなったのかはわからないが、まず私自身はとにかく勉強ができない。机の前でジッとして読んだり書いたりする習慣が今の今まで身についていない。原稿だって、今もこうしてベッドの上で寝そべってダラダラと書いているし、飽きたらこのまま眠ってしまうだろう。
大学受験のときも、結局表紙のオシャレな参考書を買うだけ買って、机に並べて、それで終わった。勉強の方法がてんでわからない。学校以外で机に座ったのなんて、大人になってから受検した日本語検定くらいだと思う。こんな調子で一応大学まで出られたのだから、それこそ「地頭が良い」と誰かに言われてしまうかもしれない。
でも、たぶん私は本当に頭が良くない。自分でもやっとわかってきのだ。自分がなにも考えていないのが。
算数は大嫌いだけど
「頭が良い人」になりたくて
小学4年生の頃、私は4年2組の教室で算数の授業を受けていた。担任は横田先生。横田真理子先生。大学を出たばかりの若い先生だった。私はいつものように教室の斜め上あたりをボーっと見つめていた。たぶんいつものようにくだらない妄想でもしていたのだろう。
横田先生はそんな私を突然指名して、18+2の答えを聞いた。私は答えられなかった。周囲の「え?」という声とクスクスという笑い声が今も忘れられない。私は恥ずかしくて授業が終わるまで机に突っ伏しめそめそと泣いた。横田先生は私の背中を撫でて慰め、謝ってくれた。先生はなにも悪くない。悪いのは授業も聞かず宙を見つめていた私だ。