罪への贖いとして、みずからの命が奪われることを宣告されれば、だれしもうろたえる。もし、はじめに死刑を言い渡せば、動揺のあまり、そのあとに朗読される理由など聞いていられないおそれがある――。
それが主文後回しの理由とされている。
被告人を、死刑に処する。
裁判長が、そう言いわたすと、記者たちは我先にと一斉に廷外へと駆けだす。死刑、の速報を打つためだ。
それを尻目に、法廷に立つ被告は「はい」とちいさくうなずいた。
少年法の対象年齢ではあるが
19歳なら死刑にしてもよい
被告は、事件当時19歳の少年だった。
「年齢を最大限考慮しても、刑事責任は重く、更生の可能性は低い」
それが、死刑の理由だった。
少年事件では、令和初の死刑判決となった。
この事件は、市民による裁判員裁判で審理された。判決後、裁判員として参加した市民が記者会見をしている。
〈大人だが、子どもでもある。非常に難しかった〉(男性/31歳)
〈19歳はもう大人。年齢だけの問題では無い〉(男性/66歳)
〈1人ではなくチームで決めた刑。このような事件が二度と起こらないことを祈っている〉(女性/21歳)
ご存じのように、どんなに凶悪な事件であろうとも、日本では18歳未満の少年は死刑にならない。
「罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する」(少年法51条1項)。
そう法律が禁じているからだ。逆にいえば、18歳や19歳であれば、法律上も死刑が認められている、ということになる。
死刑の基準としては、永山則夫の刑事裁判をつうじて示された永山基準(最高裁は考慮要素、としている)が、よく知られている(編集部注/殺人の被害者が1人なら無期懲役以下、2人なら無期懲役あるいは死刑、3人以上なら死刑という量刑相場のこと)。だが、それを問われた裁判員からは
〈昭和の時代の基準だ〉
〈被告も事件の内容も異なる〉
と、厳しい意見が述べられた。
もちろん、この裁判はまだ1審の甲府地裁の段階であり、東京高裁に控訴、最高裁に上告することができた。当然の流れとして、被告の弁護士は控訴した。ところが、当の被告本人が、その控訴を取り下げた。
令和初となる少年事件の死刑判決は、こうして確定した。
生徒会長を務めたまじめな男が
なぜこんな事件を起こしたのか
死刑が確定した少年は、どんな人物だったのか。