少年は、定時制の高校に通っていた。その高校では生徒会長をつとめ、授業態度もまじめだと評判だった。

 ところが、一方的に好意を寄せていた後輩の少女に交際を断られたことをきっかけに、その振る舞いが暗転する。深夜3時半ごろ、少女の自宅に1階窓から侵入。少女の両親をナイフで刺すなどして殺害したうえ、少女の妹にもけがをさせ、準備していたライターオイルをまいて放火した。

 一家3人が死傷する放火殺人事件。そして少年は、事件当日にみずから警察署に出頭していた(少女はかろうじて逃げて無事だった)。少年は刑事罰が相当だとして逆送された。

 なぜ、こんな事件を。

 だれもが驚き、裁判にはおおくの傍聴希望者がつめかけた。

 しかし、殺人や放火の罪に問われた少年は、初公判で無言をつらぬいた。

 裁判長が人定質問(住所や氏名、年齢、職業などを確認する質問)をしても、黙ったまま。検察官が起訴状を朗読し、その罪状の認否について問われても、いっさい口を開かなかった。

 冒頭陳述で、検察官が事件のいきさつを述べはじめると、両耳を手で押さえ、目をつぶるしぐさをみせたという。

 甲府地裁で開かれた裁判は21回におよんだ。なぜ被告は法廷で押し黙ったのか。

「社会に戻るつもりがないからです」

 途中、12回目の被告人質問で、初めて言葉を発した少年は、無言の理由をそう説明した。

 その後の裁判で、ようやく少年は話しはじめた。ただ、みずからの家庭環境、母親が決めた就職先への不満などについては口を開いたものの、遺族に謝罪の言葉を述べることはなかった。

 裁判では検察側、弁護側の双方とも事実関係に争いはなし。大きな争点は、少年の刑事責任能力の程度だったが、判決は完全責任能力を認定していた。つまるところ、精神的な障害があったわけではなく、自分の行為の善悪を理解したうえで人を殺めた。そう判断したうえで裁判官と裁判員は死刑を言いわたしていた。

少年ではあるが少年のように
保護されない「特定少年」

 何とも名状しがたい事件ではあるが、この少年について、朝日、読売、毎日、産経、日経の全国紙すべてが、その実名(遠藤裕喜死刑囚)を報じている。これは従来では、ありえない展開だった。テレビも同様で、少年の顔写真まで載せる放送局もあった。最後まで匿名をつらぬいたのは、東京新聞ぐらいだった。