児童福祉法やヤングケアラーの視点でみれば、いずれの事件も児童として国が支援する対象であり、保護する対象でもある。ところが少年法の側に立つと、この罪名(殺人罪、強盗罪)であれば、少年として保護される対象から外れて、大人同様に刑事裁判であつかうことになる。
もし、国が18歳と19歳を大人としてみるならば、児童福祉法などは対象を18歳未満にとどめていいはずだし、やはりまだ未成熟とみるならば、逆に少年法はこうした少年も保護対象にする方がしっくりくる気がする。
児童福祉法と少年法という2つの法律の違い。そして、その背景にある施策の違い。あるいは厚生労働省と法務省という省庁の違いで、こうしたちぐはぐさが生じるのは、やはりモヤモヤする。
国は家庭環境が同じように不遇でも、良い子であれば支援し、悪い子なら突き放す――、といったらいいすぎだろうか。
少年法の理念など知るはずもない
18歳の大人が18歳の少年を裁く
さらに問題をややこしくしているのは、じつはこともあろうに裁判所、という面もある。
裁判員制度の話だ。
2009年からはじまったこの制度は、公職選挙法に紐づけられている。裁判員に選ばれるのは「衆議院議員の選挙権を持っている人」としているのだ。先にふれたように、公職選挙法は2016年に改正され、選挙権は18歳からになった。
それでも、公選法の改正直後は、20歳未満は裁判員から除外されるように公選法に付則が設けられていたから、まだ良かった。それが、2022年に少年法が改正されると、この付則が削られた。その結果、18歳と19歳も裁判員として刑事裁判に参加するようになったのだ。
高校3年生が、同級生の少年の事件を審理する――。
証言台に立つのは、「特定少年」の被告。それより一段高い法壇に座り、大人として裁判に参加する生徒。
裁かれる側と、裁く側で、同じ年でも、その立場が変わる。まるでブラック・ユーモア。あえて悪くいえば、司法の世界でくり広げられる机上のゲーム。そんな奇妙にアンバランスな状況が生まれてしまったのだ。