なんのためにこの学校を受験するのか――。親に言われるまま何も考えないで学校に入学すると、壁にぶつかったときにいともたやすく崩れてしまうことがある。「自分で選ぶ進路」がいかに大切なものなのか、よくわかる一つの事例を紹介する。本稿は、宮本さおり『中学受験のリアル』(集英社インターナショナル)の一部を抜粋・編集したものです。
公立小学校で成績抜群の息子に
母親は盛り上がってしまった
大手企業から内定をもらった千葉県在住の田代賢雄さん(仮名・当時大学4年生)。大学の門の前で待っていてくれた彼は私を見つけると、
「わざわざ雨の中いらしていただきありがとうございます」
と丁寧な口調で出迎えてくれた。細身で柔和な印象の彼だが、大学に入るまでの数年間、悶絶するような苦しみの中にいた。きっかけは中学受験だった。
田代少年が中学受験を決めたのは母親の律子さん(仮名)の望みからだった。近くの公立小学校に通っていた田代少年は、学校の成績は優秀そのもの。テストではつねに100点を取り、勉強で困ったことはなかったという。
そんな賢さを伸ばそうとしたのだろうか、母親の律子さんは小学3年生の賢雄君に塾の見学を勧めた。
「賢雄、うちは中学受験をすることにしたから、そのための塾に入ろうか」
それが入塾のきっかけだった。
中学受験とはどういうことなのか……当時の賢雄君はよくわからないまま、母親の言うとおり、塾の見学に行くことにした。それもそのはず、賢雄君の住むエリアは中学受験をする子どものほうが少なかったため、周りの友達が中学受験を話題にすることもなかったのだ。
「母親から言われたのは“中学受験をしておけば、みんながする高校受験はしなくてよくなるから楽だよ”ということだけでした。自分にはとくに意思はなくて、親がそう言うのならばそうなのだろうなと、とくに疑問ももたずに入塾しました」
入ったのは栄光ゼミナール。いくつかの塾を見学し、家からの近さと授業時間の短さが気に入り、ここにした。はじめは週に2回ほど。学校の宿題と塾の宿題の両方をこなす生活も、それほど苦労することはなかった。だが、4年生になると状況は変わったという。塾の授業についていくのがつらくなり始めた。そうなると、塾の宿題もなかなか終わらない。おまけに、塾で前の席になった女の子からはやたらとちょっかいを出されるようになり、ますます授業に集中できなくなっていた。
好きだったはずの勉強が
だんだん苦痛になっていく
母親には女の子のことは話さず、
「塾の授業についていけないから塾を替えたい」
とだけ伝えることに。
律子さんは息子の意見を尊重し、すぐに新しい塾を見つけてくれた。塾の5年生クラスが始まるタイミングで個人経営の塾へと転塾、前の塾に比べて距離は遠くなった。電車で6駅、そこから徒歩で10分という道のりだが、すでに高学年に入った賢雄君にはそれほど苦にはならなかった。問題は成績だ。