青年という言葉は使わなかったものの、18歳と19歳の年長少年については刑事裁判に付する、というのは、かつて法務省が展開した主張そのものだったのだから。

 いや、半世紀以上過ぎた上での復活だから、これは「青年」議論の亡霊があらわれた、といった方が、おどろおどろしさが増すかもしれない。

「児童」は小学生?18歳未満?
法律によって言葉の意味が変わる

 こうして、あれやこれやと違った視点で考えると、少年が成年の対義語ではない実態が、よくわかるはずだ。

 それは、結局は政策の問題にゆきつくところもある。

 それがよくわかる例が、昨今の児童福祉法の改正だ。

 少し回りくどくて恐縮だが、「児童」とは何か、を整理したい。

 たとえば文部科学省によると、学校生活での「児童」と「生徒」の意味するところは、児童が小学生、生徒が中学生と高校生となる。これは学校教育法という法律の定義にもとづいている。

 それにたいして、児童福祉法の「児童」とは何か。その対象の年齢は、ぐっと広い。

 児童とは、18歳未満の男子と女子だ(この法律では、1歳未満を「乳児」、1歳~小学生未満を「幼児」、小学生~18歳未満を「少年」というから、これまたややこしい)。

 いずれにしても、児童という言葉の響きからは、なんとなく子供のイメージが思いおこされないか。

 この児童福祉法の目的は、児童が心身ともに健やかに育つことができるように、生活環境を保障すること。そして、それが実現できるように、国や地方自治体の責任についても規定している。

 未熟でまだ自立できない少年・少女を、親に代わって国が面倒をみるという点では、少年法の国親(くにおや)思想とコンセプトが似ている。特に、児童の健全な育成のために、ときに行政が介入する点は、互いの法律の目的に似通った面がある。

 その児童福祉法が、2024年に改正された。保護者がいなかったり、貧困であったり、親がいても虐待を受けたり――、といった本人にはどうしようもない事情で児童養護施設や里親家庭で育つ若者の自立支援について、これまで原則18歳までとしていた年齢制限を、撤廃したのだ。