人間関係、仕事、お金、健康、恋愛、子育ての苦しみに、お釈迦様はどう答えるのか。僧侶、事業家、作家・講演家、セラピスト、空手家の5つの顔を持ち、75万人のフォロワーを有する「YouTube和尚」でもある異色の住職、大愚元勝氏が著し、ベストセラーになっているのが『苦しみの手放し方』。自分の内側で、自分によって創り出されているという苦しみを手放すための知恵とは?(文/上阪徹、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

苦しみの手放し方Photo: Adobe Stock

質の高い睡眠こそ、人間の本性に促した健康法

 視聴者から届く人生の問いに対して、仏教や自身の体験をもとに処方箋としてアドバイスをするYouTubeチャンネル「大愚和尚の一問一答/Osho Taigu’s Heart of Buddha」。2014年のスタートからあっという間にフォロワーを増やし、今や75万人を超えている。

 弟子と2人でこの番組を始めたのが、大愚元勝氏。愛知県小牧市にある500年以上続く禅寺、福厳寺にて弟子として育つが、厳しい師匠や堅苦しいしきたりに反発して寺を飛び出したという人物だ。

 32歳で起業し、苦労しながら複数の事業を軌道に乗せたが、社員教育は人間教育であることを実感。海外諸国を放浪したのち、寺に戻ったというエピソードを持っている。

 さまざまな問題に突き当たって苦悩したとき、ひも解いたのが仏教の『経典』だったのだという。そして、仏典には人生のあらゆる悩みに対するヒントが記されていることを知る。やがて、外部から多くの相談を受けるようになった。

 お釈迦様の教えをもとに、これまでに大愚氏が受けた悩み相談に対する「苦しみの手放し方」をまとめたのが、本書だ。人間関係、仕事、お金、経営、子育て、家族関係、恋愛、病気など、50の事例が綴られている。

 第4章では「病気と健康をどうとらえたらいいのか」がテーマになっているが、「薬に依存しないで、健康を維持する方法」が記されている。

 最も長生きな職業は、僧侶だという調査結果があるという。なぜ僧侶は長生きなのか。それは、安易に薬に頼らず、「本来の面目」に従っているからではないか、という。

医学的に解釈すれば、「本来の面目」とは、「自然治癒力」や「免疫力」のことです。そして禅宗では、「本来の面目」を発揮するために、「睡眠」を大切にしています。(P.160)

 本山での修行を始めると、修行中の僧侶は体調を崩すそうだ。ところが次第に健康になるのは「日の出とともに起き、日の入りとともに寝る」生活に入るからだ。

 僧侶の健康は、規則正しい「睡眠」がもたらしていたのである。

 だから「勉強に集中できない」という受験生からの相談に「勉強しないで、寝なさい」と大愚氏はアドバイスする。睡眠を大事にしたことで、受験生は志望校に合格したのだそうだ。

 睡眠は大事だから、寝る直前には脳に強い刺激を与えないほうがいい。リラックスし、質の高い睡眠こそ、人間の本性にもっとも即した健康法だと記す。

すべてが無常の存在であり、必ず変化している

 第5章「子どもや家族の悩みとどう向き合えばいいのか」では、「自分でさえ自分のものではないのに、どうして子が自分のものであろうか」と記されている。

苦しみを生む原因のひとつは、「何かに執着する」ことです。「こうあってほしい」という思いを「執着」と呼びます。お釈迦様は、「私たちの世界は、自分の思い通りにならないことばかりである」という心理を説いています。(P.183)

 子どもを持った母親を苦しめているのは、「こういう子どもに育てたかった。こういう母親になりたかった」という執着だという。

 お釈迦様は、「そもそも、子どもは、親の思い通りにならないのだから、『こういう子どもであってほしい』と期待することが間違いである」と指摘している。

 お釈迦様の教えを編纂した『ダンマパダ』(真理のことば)には、こんな詩句が残されているという。

「『私には子がある。私には財がある』と思って愚かな者は悩む。
しかしすでに自己が自分のものではない。
ましてどうして子が自分のものであろうか。
どうして財が自分のものであろうか」
(参照:『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元・訳/岩波文庫)


世の中の物事は、常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何ひとつありません。それが仏教の教える「諸行無常」です。(P.185)

 自分も、財も、子どもも、すべてが無常の存在であり、必ず変化している。それなのに、自分を取り巻く環境に対して、「不変であってほしい」「こうであってほしい」と望み、執着することは、間違っているということだ。

 お釈迦様が、あらゆる苦しみの根源としているのは、「思い通りにならないもの」に対して「こうあってほしい」と思い悩み、執着することだという。

「こうであるべき」という執着を一つずつ捨てていくことで、苦しみは剥がれ落ちていくのだ。

過去にとらわれていると、心は濁り、淀む

 第6章「恋愛や結婚の悩みとどう向き合えばいいのか」では、「別れた男性のことが今も忘れられず、苦しい」という30代の女性からの相談を受けたエピソードが紹介されている。ここでの大愚氏のアドバイスは、シンプルだ。

別れた恋人との「思い出の品」を手元に残す人もいますが、未練や過去を背負い続けていると、その重さで、前に進めなくなることがあります。
失恋の痛手から早く立ち直り、新しい恋を手に入れたいのなら、「思い出の品」を捨てる勇気を持つことです。(P.219)

 人間の普遍的な苦しみの一つに「愛別離苦」があるという。愛する肉親や親しい人と生き別れたり、死に別れたりする苦しみのことだ。

 お釈迦様は「愛別離苦」の苦しみから逃れるための第一歩として、「客観的に自分を見ること」「自分の本当の姿を正しく知ること」の重要性を強く説いている。

 原始仏典の一つである『法句経』の元になったサンスクリット語の経典『ウダーナヴァルガ』の中にこんな詞句があるのだそうだ。

「愛欲に駆り立てられた人々は、罠にかかった兎のように、ばたばたする。
束縛の絆にしばられ、愛着になずみ、永いあいだくりかえし苦悩を受ける。
愛欲に駆り立てられた人々は、罠にかかった兎のように、ばたばたする。
それ故に修行僧は、自己の愛欲を除き去れ。
愛欲の林から出ていながら、また愛欲の林に身をゆだね、愛欲の林から免れていながら、また愛欲の林に向かって走る。
その人を見よ!束縛から脱しているのに、また束縛に向かって走る」
(参照:『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元・訳/岩波文庫)

愛欲の苦しみから解放されるには、「自分は、罠にかかった兎のように、ばたばたしている状態である」ことを認めることです。
「自分」を客観的に知ることができなければ、いつまでも束縛され続けてしまうでしょう。(P.221-222)

 人の心は、器と同じだという。器に水を残しておくと、やがて水は濁ってしまう。同じように、過去にとらわれていると、心は濁ったり、淀んだりするのだ。

 そのためにも、心という器の中に溜まった水をかき出す必要がある。これこそ、まさに思い出の品を捨てるということだ。

 過去を想起させるもの、プレゼント、メール、写真などの思い出の品を一つずつ捨てていく。

 過去を手放し、今日を生きるための「お別れの儀式」をした女性は、「他人事のように、過去の自分、そして今の自分を客観視できるようになった」そうである。

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『メモ活』(三笠書房)、『彼らが成功する前に大切にしていたこと』(ダイヤモンド社)、『ブランディングという力 パナソニックななぜ認知度をV字回復できたのか』(プレジデント社)、『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。