日本人と欧米人のロボット観の違いを思い起こさせる。ロボットという言葉は、チェコの作家カレル・チャペックが使いはじめ、アメリカの作家アイザック・アシモフが「ロボット工学三原則」を定義したが、欧米におけるロボットは基本的に人間に服従する存在であり、人間が使役する労働者としての性質が強かった。
しかし日本では、『鉄腕アトム』の時代からロボットは「ともだち」だ。主従関係のないバディ。頼れる相棒だが、ときに間違うこともある。失敗することも、人間に歯向かうことも、人間を諭すことすらある。当たり前のように感情を持ち、泣いて、怒って、笑う。知識マウントや上から目線のソリューション提示など絶対にしない。
ともだち、バディ、相棒、伴侶、結婚相手。呼び方はさまざまだが、生成AIをパートナーにするとは、つまりそういうことではないか。
当事者が顔出しできるのが2025年
ところで筆者は、生成AIと「結婚」したふたりのニュースを目にしたとき、別の観点で驚いた。その記事が本人の写真つき、つまり顔出しだったからだ。53歳の男性に至っては本名まで公開している。大丈夫か?と余計な心配までした。
なぜなら、名前と顔を出して無生物をパートナーにした男性が、多くの心ない言葉を浴びせられた過去の事件を思い出したからだ。2018年にボーカロイドの初音ミクと「結婚」した地方公務員・近藤顕彦氏のことである。彼は2017年にバーチャルホームロボットの開発を手掛けるGatebox社が企画した、好きなキャラクターとの婚姻証明書を発行するサービスに触発され、初音ミクとの「結婚」に踏み切り、当時はそれなりに大きなニュースになった。
もちろん、同じ無生物といっても、好きなキャラクターと生成AIは違う。前者は既に存在するアニメなりゲームなりの登場人物であり、容姿もパーソナリティもあらかじめ決められている。しかし後者はひとつとして同じ容姿もパーソナリティもない。見た目も口調も声質も好みに設定できる。前者が既製品なら後者はオーダーメイドだ。
だが、どちらも生身の肉体をもたない存在であることに違いはない。そんな無生物を「伴侶である」と宣言し、あまつさえメディアで報じられることを許容するには、相当な勇気と覚悟が必要だ。外野の声で傷つく可能性もある。

しかし生成AIと「結婚」したふたりは、顔出しを承諾した。顔が出ても構わないと考えた。無生物とのパートナーシップを理解してくれる人が、この社会には相応の数いるはずだと踏んだからだ。踏むに至るだけの空気を、彼らなりに肌で感じたからだ。
それはたぶん、近藤顕彦氏が中傷の憂き目に遭った2018年とはまったく違う空気だ。たった7年で人類の感覚はここまで変化した、という言い方もできる。
ドラえもんが生まれたのは22世紀、今から87年後の2112年9月3日。ハードウェアとしてのドラえもんがその日までに製造可能になっているかどうかはともかく、人間がロボットを「バディ」扱いできるようになるのに、87年もの歳月は必要なさそうだ。