「結果を出す人」は、何を考えているのか? それを明らかにしたのが、プルデンシャル生命で伝説的な成績を残したビジネスアスリート・金沢景敏さんの最新刊『超☆アスリート思考』です。同書で金沢さんは、五輪柔道3連覇・野村忠宏さん、女子テニス元世界ランキング最高4位・伊達公子さん、元プロ野球選手・古田敦也さん、元女子バドミントン日本代表・潮田玲子さんほか多数のレジェンドアスリートへの取材を通して、パフォーマンスを最大化して、結果を出し続ける人に共通する「思考法」を抽出。「自分の弱さを認める」「前向きに内省する」「コントロールできないことは考えない」「やる気に頼らない」など、ビジネスパーソンもすぐに取り入れることができるように、噛み砕いて解説をしています。本連載では、同書を抜粋しながら、そのエッセンスをお伝えしてまいります。

「このままでは給料ゼロ!」…追い込まれた「営業マン」が、たった一年で「日本一」になった“驚きの方法”とは?写真はイメージです Photo: Adobe Stock

トップアスリートはみな、「代価の前払い」をしている

 何かを手に入れるためには、「代価の前払い」をしなければならない――。

 トップアスリートの方々のライフストーリーを見ていると、いつもこのことを考えさせられます。

 なぜなら、どんなに活躍しているトップアスリートでも、最初から活躍していたわけではないからです。

 むしろ、ほとんどの方は、初めは勝てなかったり、目立たなかったり、伸び悩んだり、いわゆる「下積み」の時期を過ごしていらっしゃいます。そして、その時期に、圧倒的な「代価の前払い」したからこそ、のちに活躍する素地がつくられているのです。

「天才」と呼ばれたイチロー選手だってそうです。

 イチロー選手が地元のクラブチームに入って、本格的に野球を始めたのは小学3年生のこと。小中学校時代から、地元では抜きん出た選手だったそうですが、全国レベルではほぼ無名。その名が知られるようになったのは、強豪・愛工大名電において1年生でレギュラーを獲得してからでした。

 ただし、プロ野球のスカウトから注目を集めたものの、「線が細く、非力」などという評価が一般的。広く「天才」と呼ばれ始めるのは、プロ3年目にシーズン210安打を放ってからでした。

 この間、イチロー選手は信じられないほどの「努力」をされました。

 小学生時代から、週に6日、毎日数百本の素振りをして、年間360日以上を練習に費やしたと言われています。友達が遊んでいる時間も、「僕には夢があるから」と脇目も振らず練習。まさに、イチロー選手は、小学生時代から延々と「代価の前払い」を続けてこられたということでしょう。

 だからこそ、イチロー選手の「努力せずに何かできるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうじゃない」という言葉には、僕たちの心を打つものがあるのだと思うのです。

“怠け者の自分”を動かす二つの方法

 イチロー選手ですらそうなのです。

 だったら、僕のような凡人が「代価の前払い」をしないでどうする?

 そう思った僕は、プルデンシャル生命に入ってからは特に、積極的に「代価の前払い」をすることを意識しました。

 ただ、これは言うのは簡単ですが、実行するのはなかなか難しいものです。なぜなら、「代価の前払い」でやらなければならないことは、まず第一に「きつい」からです。しかも、「代価の前払い」をしたからと言って、必ずリターンがあるとも限りません

 その現実を受け入れたうえで、自らすすんで“苦行”をするのは難しい。できることなら避けたいというのが、偽らざる本音なのです。

 では、どうやって自分に“苦行”を強いるのか?

 これには、大きく二つの方法があります。第一に「なりたい自分」「理想的な未来」を思い描いて、それに近づくために自分に“苦行”を強いる方法。おそらく、小中学生時代のイチロー選手はこの方法で頑張られたのではないかと想像します。

 第二は、「なりたくない自分」「最悪の未来」を思い描いて、そうならないために自分に“苦行”を強いる方法で、僕はこのタイプです。

「なりたくない自分」「最悪の未来」をまざまざと思い描いて、自分を震え上がらせることで、ようやく腰の重い“怠け者の自分”を駆動させることができる。そして、動き始めたら、あとは「なりたい自分」「理想的な未来」をめざして頑張り続けるといったイメージです。

 プルデンシャル生命で苦しんでいたころに、自分に“苦行”を強いたことを今でもよく思い出します。その思い出を一つご紹介しましょう。

 あれは、入社して数ヶ月後、なかなか数字が伸びずに苦しい日々を過ごしていたころのことです。長男が産まれたこともあって、僕は1週間の休暇をもらって、家族を連れて軽井沢に旅行に行くことにしました。

 ところが、家族水入らずの旅行を心から楽しむことはできませんでした。

 僕はフルコミッションの営業マンですから、1週間仕事をしないということは、将来入ってくるお金は「ゼロ」ということ。それを思うとヒリヒリするような焦りが湧き上がってきます。家族で遊んでいても、心ここにあらず。むしろ、楽しそうにしている家族の笑顔に、心が押しつぶされそうな感覚を覚えていました。

 産まれたばかりの赤ちゃんはもちろん、無邪気にはしゃいでいる幼い長女も、僕が守ってやらなければならない。そして、僕が苦境に陥っていることを感じ取っているのかいないのかわかりませんでしたが、いつも通り明るく家族の世話をしてくれている妻を見ていると、なんとも言えない気持ちになりました。

超リアルな「最悪の未来」を想像する

 このとき、僕はあえて「最悪の未来」を想像しました。

 京大アメフト部のときと同じように、「さぼりたい」「逃げたい」という弱さに流されて、「本気」になってやり切らないままでは、営業という厳しい仕事で絶対に結果を出すことはできません。そして、フルコミッションのプルデンシャル生命には、結果を出せない営業マンには居場所はない……。

 それは、恐ろしい未来でした。

 カッコいいことを言ってTBSを辞めて、たった1年で挫折して再び転職している自分。転職を応援してくれた妻を悲しませている自分。それでも、なんとか取り繕いながら生きようとする自分……。

 僕は、カッコ悪くて、弱い自分をよく知っています。だからこそ、その未来にはリアリティがありました。心底怖くなりました。そして、「そこ」にだけは絶対に行きたくないという強烈な思いが込み上げてきました。

 もう居てもたってもいられませんでした。

 テレアポをしよう。そう思い立った僕は、バッグのなかから「名刺ファイル」を取り出すと、くつろいでいる家族に「ごめん、ちょっと外に出てくるわ」と言って、宿泊していたコテージを飛び出しました。1週間も休暇を取ることに不安を覚えていた僕は、旅行先でも仕事できるように「名刺ファイル」をもってきておいたのです。

 コテージは森のなかにありましたから、周囲には街灯一つありません。

 コテージから漏れる光を除けば、真っ暗闇でした。だから、テレアポができるのは「ここしかない」と車に乗り込みました。

 軽井沢とは言え、真夏だから車内はめちゃくちゃ暑かった。だけど、クーラーをつけるためにエンジンをかければ、コテージで眠っている赤ちゃんを起こしてしまう。窓を開けたら、虫が入ってくる。仕方がないので、汗だくになりながら電話をかけるほかありませんでした

恐怖から逃れるために、必死になって「テレアポ」を繰り返す

 必死でした。

 ついさっきイメージした「最悪の未来」に陥らないためには、今できることを全力でやるしかない。東京に帰ってすぐさま営業活動に全力投球するためには、できるだけ多くのアポイントを取らなければならない。だから、僕は「10人のアポが取れるまで、絶対にコテージに帰らない」と決めて、電話をかけ続けました。

 しかも、これまで避けていた方にも電話をすることにしました。

 かつて名刺交換をさせていただいたけれども、社会的な地位が高かったり、心理的な距離が遠い方には、なかなか電話しづらいものです。あるいは、一度断られた方や、僕の営業スタイルを非難された方に電話をするのも勇気のいることでした。

 だけど、そんなことを言っていられない。いや、「そんな甘っちょろいことを言っているから、俺はダメなんや」と思って、このときは、これまで避けてきた方にも次々に電話しました

 何時間くらいやったのかは覚えていません。

 ほとんどの電話はすぐに切られたり、二言三言で断られますから、効率は最悪。汗でシャツがドロドロになって気持ち悪かったですが、閉め切った車内だったから、傷ついたり、腹が立ったりしたときには、「くっそー!」とか「おっしゃ! 次行くぞ!」とか大声を出せるのは好都合でした。

 それに、これまで電話をするのを避けていた方から、意外にもすんなり「アポOK」をいただけたりして、これまで勝手に遠慮をして、自らチャンスを逃していたことに気づいたりもしました

 そんなこんなで、なんとか目標の10アポを達成。