ヘトヘトでしたが、その「達成感」は僕を健康的な気持ちにもしてくれました。不安なときに、あれこれ考えごとをすればするほど、不安は「雪だるま式」に膨れ上がっていきますが、不安から逃れるために前向きな行動をすれば、それだけで不安は消えていくのです。
そして、僕は、ふと「よっしゃ、もう一つアポを取るまで頑張ろう」と思いました。
アメフト部時代にさぼっていた「限界を超えたところで、もうひと頑張り」を、ここでやることで、「自分の弱さ」を振り切ろうと思っていたのかもしれません。
ともあれ、そのとき、僕は「もうひと頑張り」をして、無事、一件のアポをいただくことに成功。実は、このアポが、のちに大きな契約につながったのですが、このときの僕は、まさかそんなことになるとは思いもしませんでした(でも、「代価の前払い」とはそういうものなんだと、今になるとよくわかります)。
「心理的負担」の大きなタスクを乗り切る
プルデンシャル生命時代、何度こんなことを繰り返したかわかりません。
テレアポをはじめとして、保険の営業には心理的な負担の大きなタスクが山のようにあるのですが、何度も何度も「なりたくない自分」「最悪の未来」を思い描いて、自分の尻を叩きながら、コツコツと「代価の前払い」を積み重ねていきました。
すると、徐々に変化が起き始めました。
営業は「確率論」だと直観していた僕は、とにかくお客様と会う「母数」を増やすことに集中しました。
そのために、断られても断られても、テレアポの電話をかけ続け、お客様が会ってくださる時間帯――朝の9時から夜の9時くらいまで――はすべて外回りの営業に費やすことにして、数週間先までスケジュール帳がびっしり埋まるようにしました。それこそが「代価の前払い」だと考えたのです。
もちろん、当初は断られることが多いので、まさに砂を噛むような思いでしたが、ずっと「代価の前払い」を続けているうちに状況が変わっていきました。
最初のころの僕は、営業マンとしては全くの“青二才”。今思えば、無駄なことも山ほどやっていましたし、営業テクニックも未熟でしたから、「営業効率」はおそろしく低かったと思います。先輩営業マンが1ヶ月に30人のお客様に会って10件を成約させていたとすれば、当時の僕は30人で5件くらいが関の山。それくらいの実力差はあったと思います。
だけど、そんな僕でも、1ヶ月に2倍の60人のお客様にアプローチすれば、成約件数も2倍の10件くらいにはなります。営業は「確率論」だから、圧倒的な「量」を積み重ねれば、先輩と肩を並べるくらいの「結果」を残すことは可能なのです。
「代価の前払い」を続けると、ある瞬間に一気に「道」が拓ける
しかも、圧倒的な「量」を積み重ねることで、自然と「質」も高まっていきます。
僕なりに、営業テクニックが磨かれることで、営業効率もどんどん高まっていくのです。そうなると、「圧倒的な量×高い営業効率」の掛け算が機能して、先輩方の営業成績を凌駕することができるようになったのです。
それだけではありません。
僕は、「保険を売る」ためではなく、お客様との「信頼関係」を築くことを目的に営業活動をしていましたから、数年にわたる営業経験を積み重ねるうちに、「僕という人間」を信頼してくださるお客様の「母数」も大きく膨れ上がっていきました。
すると、当初は思いもしなかったことが起き始めました。僕が営業活動をしなくても、ほとんど毎日のように、さまざまなお客様から「あなたから保険に入りたい」「保険に入りたいという知り合いがいるから、あなたに紹介したい」といった連絡をいただけるようになったのです。
これが、僕の経験したことです。
保険の営業マンとして、最初のころは、かなりの精神的・肉体的な負荷がかかる状態で「代価の前払い」をし続けていましたが、ある水準を超えると一気に「道」が拓けました。そして、それ以降は、より少ない負荷で大きなリターンを継続的に得ることができるようになり、プルデンシャルに転職した一年目で「日本一」の成績をおさめることができたのです。
きっと、これと似たようなことが、トップアスリートのみなさんにも起きたのではないでしょうか。厳しい練習とトレーニングという「代価の前払い」をし続けることで、身体が出来上がっていくとともに、技術水準も一定のレベルを超える瞬間が訪れる。そのとき、一気に才能が開花。ご本人ですら想像しなかったほどの、快進撃が始まるのではないかと思うのです。
だから、僕はこう考えています。
何かに挑戦するときには、まずはじめに「代価の前払い」しなければならない。
それは、将来のリターンを得るための「先行投資」なのだ、と。
(この記事は、『超⭐︎アスリート思考』の一部を抜粋・編集したものです)
AthReebo株式会社代表取締役、元プルデンシャル生命保険株式会社トップ営業マン
1979年大阪府出身。京都大学でアメリカンフットボール部で活躍し、卒業後はTBSに入社。世界陸上やオリンピック中継、格闘技中継などのディレクターを経験した後、編成としてスポーツを担当。しかし、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じ、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命に転職した。
プルデンシャル生命保険に転職後、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRTの6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な数字をつくった。2020年10月、AthReebo(アスリーボ)株式会社を起業。レジェンドアスリートと共に未来のアスリートを応援する社会貢献プロジェクト AthTAG(アスタッグ)を稼働。世界を目指すアスリートに活動応援費を届けるAthTAG GENKIDAMA AWARDも主催。2024年度は活動応援費総額1000万円を世界に挑むアスリートに届けている。著書に、『超★営業思考』『影響力の魔法』(ともにダイヤモンド社)がある。