しかし、人として考えた場合には、学歴という物差しで全てが測れるわけではありません。勉強ができる人は合理性とか効率だけを考えて行動してしまいがちなので、想像力がなくなってしまう。

 だから高学歴で超優秀な官僚なのに、セクハラしたり、嘘を隠すために頓珍漢な答弁をしたりする。きっと、自分が馬鹿だと思われることを想像できないのでしょう。

便利さや合理性が
人間の面白さを削っていく

 世の中がどんどん合理化されて、想像力のない世界になっていってると感じることはたくさんあります。

 例えば『カットフルーツ』。皮を剥いたり、切る必要もないのでゴミも出ない。たくさんの種類の果物が入っているので経済的にも良い。

 しかし何で切ってあるのでしょうか?もしかしたら、傷んだ果物を集めてきて、食べられない部分だけを取り除いて入れてあるかもしれない。実際にはそうではないかもしれないけれど、私はそんなふうに想像します。

 たとえ1種類でもいいから自分の目で選んだ果物を切って剥いたほうが、食べるときの家族の笑顔が想像できる。合理的ではないけれど、幸せを感じることができる。

 最近流行っているキャンプも、トイレ、水道が完備され、電源もある所が人気だそうです。

 子供に自然を体験させようと言うのが本来の目的なのに、飲み物はペットボトル、食べ物はコンビニで買ってきて、煌々と電灯をつけて、みんなスマホをいじっているという始末。それじゃあ、家と同じでしょう。

 キャンプというのは『野宿』です。湧き水を探す、川で魚を釣って食料を調達する、火を熾して料理する。そういう作業を体験することが大事なのです。

 トイレだってそう、川でするのか?それとも草むらでするのか?いずれにしても恥ずかしい……。合理的な普段の生活ではできない体験が大切な思い出になるのです。

 合理性ばかり追求すると、おしなべて平坦な暮らしになる。

 日常の話題だって、スマホのニュースで知ったことばかり、天気で言うと「今日は晴れですね」で終わってしまうような「だから何?」というような話している。