「こういう天気の日は、魚がよく取れるって漁師さんが言ってましたよ」「へえ、どうして?」「それはですね……」というくらいの話ができるようにならなくちゃいけない。
そのためには、シャイだとか言ってないで旅先で漁師さんと話をしなければいけない。日常に起きる細々とした事に「何で?」と疑問を持っていかなければならない。それは面倒なことですが、効率と合理性ばかりの人生より何倍も楽しいはずです。
正解を求める風潮が
そもそも間違っている
『クイズ!問題が正解だ!』。これは、解答者が問題を読んだだけで正解になっているという、私が考えたクイズなんですけどね(笑)。

問題が正解だって言ってるのに、答えが全くワカラナイという、天才にしか解けないクイズ!絶対、東大生には無理(笑)。
あのさ、正解が見えているものは、何も考えずにそこに行けるでしょ。そうじゃなくて、正解なんてものは、そもそもどうでもいいんだよ。
考えなくてはいけないのは、自分は正解を知らなくても、それに近い『着地点』に行ける力があるか?って事。暮らしの中では、正解になかなかたどり着けないことって沢山あるわけですからね。
例えば、何かを締め付けたくてさ、ネジとワッシャーがたくさんある中で、見た目で、これが合うんじゃないか?ってぱっとやって、ちょっと合わなくても締め付けることが出来たらそれでいいのよ。
つまり、「あの人に頼めば、なんとかなる」って、家族や周りの人に思われるようになることが大事。そうなるには、何事でも着地点はどこにあるか判らないまま、自分で考えて動くことですよ。
失敗して痛い目見ることもあるよ、でも、その経験値が後で生きてくるんだよ。
最近の番組の企画でもさ、最新の流行とか、なんとかの製品が凄いとか紹介されるのが多いじゃない、でも、だから何?って感じなんだよね。出る側の意見としては、そういう企画なら、誰がやってもそれなりの番組になるよねと。
私なら、もう随分時代遅れで、今どきそれ取り上げる?っていうくらい地味な企画のほうが、自分の力で絶対面白くしましょうと張り切っちゃうし、面白くできる自信がある。
なにしろ、私には、乗り切れる経験値が沢山あるから(笑)。