曰く、『テレビ番組の都合に合わせて短く編曲されたヒット曲を1曲だけ歌っても俺の歌は分かってもらえない。俺の歌はライブで直接聴いてほしい』今から見れば、それはそれで効果的な戦略です。が、その姿勢は、既存の秩序に対する挑戦で、明らかに何か新しいものが始まっていると感じさせました。

 “結婚しようよ”に続くシングル盤“旅の宿”も60万を超え5週連続チャート1位でした。

 そして満を持して、全15曲のアルバム「元気です」が拓郎人気沸騰中に発表されました。

 テレビに出ない歌手が発表したLP盤。しかもセールス・プロモーションの類は全く行われていません。しかも、このLPには所謂ヒット曲は入っていません。“旅の宿”の生ギター弾き語りヴァージョンが入っているだけで、このアルバムからのシングル・カットはありませんでした。それでも、40万枚以上も売れ、15週にわたりチャート1位を記録しました。

 テレビ出演とシングル盤という公式を完全に打ち砕きました。

 そして立ち居振る舞いに、洒脱な感じと自由の匂いがありました。従来型の芸能人とは完全に違うカテゴリーの歌手です。しかもテレビには出ない。コンサートで聴くか、ラジオで聴くか、レコードで聴くしかありません。

 その意味で、吉田拓郎はライブ兼レコーディング・アーティストでした。

「元気です」には、実に様々な曲想の曲が集められています。しかも、個々の曲がヒットを狙っている訳ではありませんが、実に魅力的です。

 音楽の質は、当時の日本の音楽シーンの最高峰と言えます。参加しているミュージシャンを見れば、それは一目瞭然です。後に、日本の音楽シーンを背負っていく若い連中が、最先端の音楽を演奏していたのです。オルガンは松任谷正隆、ギターは石川鷹彦、ベースは後藤次利、ドラムは林立夫等々。

 このような拓郎が起こした新しい音楽のあり方のお手本は、実は米国にあります。1960年代初頭の米国では、作詞作曲家と歌手の分業がありました。既存のエンターテインメント秩序の下でしたが、1964年頃から若い世代が自作自演でヒットを飛ばし始め、シングル盤よりもアルバムを重視するようになっていく訳です。その流れを創っていったのは、ビートルズやストーンズやディランやサイモン&ガーファンクルだった訳です。