こうした「だまし」は、最近の誘拐殺害事件でも使われている。警察庁の調査によると、子供の連れ去り事件の8割が、だまされて自分からついていったケースだからだ。

「だまし」が入る事件には、「襲われたらどうするか」というクライシス・マネジメントは通用しない。例えば、「防犯ブザーを鳴らせ」「大声で助けを呼べ」「走って逃げろ」といった対処はクライシス・マネジメントなので、これでは宮﨑勤事件のような犯罪を防げない。

 対照的に、「襲われないためにどうするか」というリスク・マネジメントなら、「だまし」が入る事件を防げる。ここで重要なのが「犯罪機会論」だ。リスク・マネジメントに不可欠だからだ。

 犯罪機会論とは、犯行の機会(チャンス)の有無によって未来の犯罪を予測する考え方だ。普通、動機があれば犯罪は起こると考えられている。しかし、それは間違いだ。動機があっても、それだけでは犯罪は起こらない(図1)。

 犯罪の動機を抱えた人が犯罪の機会に出会ったときに、初めて犯罪は起こる。まるで、体にたまった静電気(動機)が金属(機会)に近づくと、火花放電(犯罪)が起こるようなものだ。

 このように犯罪機会論では「機会なければ犯罪なし」と考える。要するに、動機があっても、犯行のコストやリスクが高く、犯行によるリターンが低ければ、犯罪は実行されない。そして、半世紀にわたる研究の結果、犯罪が起きやすいのは「入りやすく見えにくい場所」ということが明らかになっている(図2)。

「偶然」装い、「警戒心」解き、「追従心」を呼び起こす...宮﨑勤の手口は誘拐犯罪で今なお横行している犯罪機会論のメカニズム 筆者作成
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「偶然」装い、「警戒心」解き、「追従心」を呼び起こす...宮﨑勤の手口は誘拐犯罪で今なお横行している入りやすく見えにくい場所のパターン 筆者作成
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 犯罪者は、この二つの条件が満たされた場所を慎重に選んでいる。そこで、海外では、「入りやすく見えにくい場所」を、できるだけ「入りにくく見えやすい場所」にする努力が積み重ねられてきた。例えば、宮﨑が誘拐現場として選んだ歩道橋は、誰もが利用できる「入りやすい場所」で、橋の上は、死角はないが視線が集まりにくい「見えにくい場所」だ。見晴らしはいいが、誰の視線も届かない。

 そこで、エジプトの首都カイロの歩道橋では、シースルーにするだけでなく、支柱上部には監視カメラを設置し、「見えやすい場所」にしている。シンガポールでは歩道橋が花で覆われている。花が好きな歩行者やドライバーの視線を集めることができ、「見えやすい場所」になるからだ。

「偶然」装い、「警戒心」解き、「追従心」を呼び起こす...宮﨑勤の手口は誘拐犯罪で今なお横行しているカイロの歩道橋 出典:『写真でわかる世界の防犯 ──遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)
「偶然」装い、「警戒心」解き、「追従心」を呼び起こす...宮﨑勤の手口は誘拐犯罪で今なお横行しているシンガポールの歩道橋 出典:『写真でわかる世界の防犯 ──遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)

 日本では、残念ながら犯罪機会論がまだ十分に普及していない。そのため、個人レベルで犯罪機会論を実践しなければならない。それが「景色解読力」だ。「入りやすく見えにくい場所」を見抜く能力のことだ。これを身につければ、あたかも暗号を解読するように、危険を知らせる景色からのメッセージをキャッチできる。そして、キャッチできれば、危険を回避できる。これこそが、リスク・マネジメントなのである。

※当記事は「ニューズウィーク日本語版」からの転載記事です。元記事はこちら
「偶然」装い、「警戒心」解き、「追従心」を呼び起こす...宮﨑勤の手口は誘拐犯罪で今なお横行している