麹町経済研究所のちょっと気の弱いヒラ研究員「末席(ませき)」が、上司や所長に叱咤激励されながらも、経済の現状や経済学について解き明かしていく連載小説。前回に引き続き今回も、嶋野と末席が自由市場のモデルとその恩寵につきケンジに全力でレクチャーします。(佐々木一寿)
「やっぱり自由に取引できるって、大切なことなんですね」
ケンジは消しゴム付きの鉛筆を見ながら、しみじみと言った。
嶋野は甥の理解度を喜びながら相槌をうつ。
「それぞれが得意なことをやって、それぞれが自由に交換する。そうするとみんなが幸せになる、そういうシステムになっているんだよ」
末席は、なんかのアヤシイ勧誘のような相槌になっているな、と気になりながら先に進める。
「その自由な取引をスムーズに実現するのが、貨幣の役割なんですね。貨幣を介することによって、ほとんどのものと交換できると言っていい」
「ヒトとか南極大陸とか、禁じられてるもの以外は、ということだがね!」
嶋野は末席の発言のフォローをしているつもりのようだが、末席は渋い顔をしている。
俄然、経済学っぽくなってきたな。ケンジは身構えて言った。
「なるほど。でも、かならずそう、みんながハッピーになるんですか」
なかなかするどいじゃないか。末席は感心しながら応答する。
「だいたいそうなる、というのが経済学者のコンセンサスでしょうかね」
嶋野が末席の補足をする。
「逆に、自由に交換できることが前提にあれば、自分が得意なものだけやっていてもいい。むしろそのほうがパフォーマンスが高くなるとも言える。得意なものを多く作ることができれば、それだけたくさんのおカネと交換できる*1」
「なるほど。そうすれば多くの欲しいものが結果的に手に入るのですね」
ケンジは直感的に比較優位論を理解できたようだ、末席は安堵した。
*1 比較優位(comparative advantage)理論とは、分業のメリットを数理的に表現したもので、デビッド・リカード、ジョン・スチュアート・ミルらによって定式化された。数式的に表現すると、X国とY国が生産財aと生産財bを産出するとして、その生産効率をXa、Xb、Ya、Ybと表したとすると、XaとYa、あるいはXbとYbの大きさの比較を絶対優位(劣位)といい、Xa/XbとYa/YbあるいはXb/XaとYb/Yaの比較を比較優位と呼ぶ。口語的に結論を言うならば、他者(他国)に劣ることであっても、自国内で得意なものを生産したほうが、世界のためにも自国のためにもなる、という考え方で、自由貿易のメリットを論理的に肯定する(ミクロ)経済学の根幹をなす理論