価格転嫁での賃上げは実質賃金下げる場合も
重要なのは生産性向上と物価上昇の抑制

 日本の実質賃金は95年以降、ほぼ傾向的に下落しているが、これは「世界競争力ランキング」の低下でもわかるように生産性が低下しているからだ。実質賃金を引き上げるためにはさまざまな方法があるが、最も重要なのは生産性を引き上げることなのだ。

 名目賃金は、生産性向上によらなくとも実現できる。その第一の方法は、付加価値の分配を変えることだ。

 企業活動によって得られる付加価値は、企業利益と賃金に分配される。付加価値が一定でも、企業利益のシェアを低くすれば、賃金が増加する。労働分配率が十分に高くなれば、実質賃金の伸びがプラスになる。

 第二の方法は、賃上げ分を売上価格に転嫁することだ。しかし、この場合には名目賃金は上がるが、販売価格が上昇するため、物価が上昇する。その結果、実質賃金が上昇するとは限らない。むしろ低下してしまうことがある。

 実際、上に見たように、22年から23年にかけては、名目賃金が著しく上昇したにもかかわらず、実質賃金は下落したのである。

 春闘賃上げ率は、それまでは2%台かそれ以下だったのだが、23年は3.6%に上昇した。この間に実質賃金が下落したのは、賃上げが生産性上昇や労働分配率の引き上げではなく、賃上げ分を価格に転嫁することによって行われたことを示している。

 そして、24年から25年にかけても同様の現象が生じる可能性がある。

 つまり、価格転嫁による名目賃金の引き上げは、実質賃金を低下させる場合もあるのだ。

 こうした袋小路の状況から脱却するには、価格転嫁によって名目賃金を引き上げようとする現在の政策を大転換させる必要がある。

 実質賃金の継続的な上昇のためには、生産性上昇のための努力を継続するとともに、物価上昇率を引き下げることが必要だ。

 現在の日本では、これこそが最も必要な政策だ。

 石破内閣は、実質賃金の引き上げを重要な政策課題としていた。自民党新総裁の高市氏は、官民投資拡大などで成長重視の政策を掲げているが、生産性の上昇に真剣に取り組んでもらいたい。

(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)